1962年の暮れにロンドンで誕生したローリング・ストーンズは、まもなく結成から60年を迎えようとしているが、一度も解散することなく現在も活発に活動を続けている。(*このコラムは2019年3月に公開されました)
そんな”生涯現役”のロックバンドが歩んできた歴史をたどり、音楽活動の全体をあらためて体験できる企画展が、ロンドンでスタートしたのは2016年4月だった。
それから3年の期間にニューヨーク、シカゴ、ラスベガス、ナッシュビル、シドニーと各都市をまわってきたが、いよいよ3月15日から東京での開催が始まった。
この展覧会についてはローリング・ストーンズのメンバーも積極的に加わって意見を出し、かなり長い期間にわたって企画が練られたという。
企画の段階でロン・ウッドは、こんな意見を出していた。
「来場者は体験型を好むんじゃない? 触れられるものを増やそうとかね」
確かにレコーディングのフェーダーを自分で動かして自分で曲をミキシングできるコーナーもあったし、レコーディング・スタジオが再現されたコーナーでは、パネルの再生ボタンを押してプロデューサーのドン・ウォズのインタビュー映像を観ることもできた。
ミック・ジャガーもまた、このように明快なメッセージを述べていた。
「美術館に行くようなものではなく、これはイベントであり、体験なんだ。ザ・ローリング・ストーンズとは何かっていうね。それについて、みんなに語ってもらいながら観てもらいたい」
それに対して最年長のチャーリー・ワッツが、こんなふうに語っていたことも印象的だった。
「意見を出すのは大事だし‥‥ミックに悩む材料を与えれば 大概うまくいくんだ」
長年に渡って培ったチームワークの基本形が、こんなところからも垣間見えてくる。
ところでメンバーが提供してくれた貴重な展示物のなかで、もっとも小さいにもかかわらず圧倒的に輝いて見えた品物は、キース・リチャーズがつけていた日記だった。
手のひらに入るサイズの小さな日記には、小さな文字でサイズいっぱいに1963年の日々が記録されていたのだ。
ローリング・ストーンズの膨大な音源をレコード(記録)に残して、それらを整理して仕上げてきた仕事師らしい、キースの生真面目な部分が日記から直に伝わってきた。
そういう意味では、キースのこんな言葉にも納得がいった。
この展覧会はザ・ローリング・ストーンズについてのものだが、必ずしも自分たちだけのものではないんだ。これは我々のようなグループに関連した、テクノロジーと身の回りの品々に関するすべてなんだ。あとは長年に渡って自分たちの手をくぐり抜けてきた楽器たちとか。 こうしたものたちが忘れられない展覧会にしてくれるはずだよ。
2013年にロンドンのハイドパークで行われたコンサートのアンコール曲、「サティスファクション」を大画面の3D映像で視聴できたのもいい体験だった。
ハイドパークといえば、1969年に新メンバーとして加入したミック・テイラーのお披露目として、ザ・ローリング・ストーンズ主催で「ハイドパーク・フリーコンサート」が開催された。
これはバンドの歴史にとっては大きな節目になるはずだったが、そのわずか2日前に元のメンバーだったブライアン・ジョーンズが急逝したために、そのまま追悼のイベントになってしまった。
それから44年後、ローリング・ストーンズは世界中をまわってキャリアを重ねて、2013年にふたたびハイドパークに還ってきたのである。
そこで披露された「サティスファクション」からは、あらゆる音楽を飲み込んで彼らがつくりあげたロックの精神が、いまでも息づいているのがわかった。
最後にパネルで見て忘れられなくなったキースの言葉と、当時の写真を紹介したい。
「ルールは守らなかったね。”バンドとは制服を着て身だしなみを整えるものだ”なんてカビの生えた考え、俺たちにはバカバカしくて」
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