「ザ・フォー・シーズンズ」を描いたブロード・ウエイのヒット・ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」の映画化を果たし、84歳にして独自の道を歩みつづけるクリント・イーストウッド。彼が52歳のとき、はじめて、みずからの青春の記憶を織り込んだといわれる半自叙伝的な作品、「センチメンタル・アドベンチャー」(1982年公開)。
だがこの映画、イーストウッド映画に深入りしてきた人のなかでも、見たことがないという声が圧倒的に多いのである。配給の権限を持つのは興行主。目利きでなければつとまらないが、いつも正しいとはかぎらない。あふれるほどの情報に囲まれた今とちがって、読みちがえもあった。
たとえば、ジョン・ベルーシの「アニマル・ハウス」(ジョン・ランディス監督、1978年公開)。ランディスもベルーシも聞き覚えがなかったのだろう。「アニマル・ハウス」というタイトルを見てSEX映画と早とちりし、名だたるコメディーの傑作を、はじめから二番館公開のランクに下げてしまったという。嘘のようなほんとの話である。
クリント・イーストウッド監督、9作目の「センチメンタル・アドベンチャー」も似たような不運にみまわれている。銃も撃たない、アクションもないイーストウッド映画。これでお客は呼べるのかという心配からだろうか、はじめから全国ロードショーを断念。
都心でこの作品が上映されたのは、「池袋文藝座」、「早稲田松竹」、「大井武蔵野館」など数えるほど。ほとんどが「三本立て」の小劇場だった。なかには、ポスターに「マカロニ・ウエスタン三部作」とうたった劇場もあったとか。
メインの劇場でなく、地方の映画館で、何かの映画の添え物として同時上映される映画を「スプラッシュ映画」と呼ぶそうだが、それに等しい軽いあしらいを受けてしまったのだ。さらに原題「Honkytonk man」を勝手に「センチメンタル・アドベンチャー」という奇妙な邦題に改題してしまったのもあきれた話である。
物語の背景は、大恐慌時代のアメリカ。イーストウッド扮する主人公、レッド・ストーバルは、酒で生活をもちくずした酔いどれのカントリー・シンガー。重い肺の病をわずらっていて、明日をも知れぬ命。そんな男が最後の賭けとして、ナッシュビルのグランド・オール・オプリのオーディションに出場するため、旅に出るという物語だ。
原題のホンキートンクとは、西部開拓時代にさかのぼる言葉。馬車で運ぶとき、激しい揺れで音程を狂わせてしまったピアノが立てる調べの面白みをそのままに活かした演奏スタイルを語源とするが、「調子っぱずれ」、「はぐれ者」など、ふくみのある言いまわしでもある。
きまぐれで身勝手なホンキートンク、レッドは文無しで、持ち物といえば、ばかでかい車と、ギブソンのギター一本。かたくなに心を閉ざすまでには、辛い結末に終わった人妻との恋など心の傷がほのめかされるが、レッドは不器用を絵に描いたような男。
多くの作品で知られるように、イーストウッド作品には、死を見据えたテーマが少なくない。この映画でも、死の陰をおったレッドをとらえるイーストウッドの画像は先鋭だ。たくましい筋骨にまとわりつくシャツ。おびただしい汗は、病んだ肺からの発熱がやまないせい。酒に渇いて酒を飲む。レッドはすでに出口のない輪の中にいる。見かけは精悍ながら、その姿は、立枯れしてゆく生木を見るようにいたましい。
容態から、急きょオーディション会場に呼ばれた医師から、これ以上唄えば喀血して死ぬと宣告されながらも、レッドはよろけながら必死でマイクの前に立つ。引くに引けない。歌を残さなければ、これまでの自分にいったい何がある。
「俺にはギターと夢がある」
そう歌いかけるイーストウッドの声は、囁くように柔らかい。この「Honky Tonk Man」のレコーディング・シーンは圧巻である。
ところで、大恐慌時代、イーストウッドの実父は、鉄工所の作業員として働く一方、夜は弾き語りのクラブ歌手をしていた。ピアノが自宅にあったのはそのせいで、幼い時代からピアノに慣れ親しんでいたことで、「ジャズピアノを弾くようになった」という。
この一本の映画には、父子二代にわたるホンキートンク・スピリッツが響きあっているのかもしれない。
*このコラムは2015年1月30日に公開されました。
