マイケル・ジャクソンのもとに、モータウン・レコードから創立25周年番組に出演してほしいというオファーが来たのは1983年上旬のことだった。
モータウンは、マイケルが11歳のときにジャクソン5の1人としてメジャー・デビューを果たして以来、エピックに移籍するまで10年以上に渡って支え続けてくれたレコード会社だ。
しかし、マイケルは短時間で一気に仕上げなければならないというテレビの制作現場では、「自分の納得できる完璧な仕事ができない」そして「自分はミュージシャンであってエンターテイナーではない」という理由からテレビ出演のオファーは断り続けていた。
モータウンには恩義を感じながらも、やはりテレビには出たくないという理由で、モータウンからのオファーもはじめから断っていた。
だが、熱心な説得に押されたマイケルは条件をひとつ出した。
「わかりました。だけど、出演するなら、『ビリー・ジーン』を演らせてください」
移籍先のエピック・レコードからリリースされたばかりの「ビリー・ジーン」は、すでに全米チャート1位の大ヒットとなっていたが、マイケルはこの曲のさらなる成功を求めていた。
しかしこの曲をやればモータウンの式典の中で1曲だけ、モータウンではない曲が流れることになってしまう。
それでも大丈夫なのかとマイケルは気にかけたが、「とにかく君に出てほしいんだ」という返事を受けて、ついにマイケルは番組への出演を承諾した。
モータウン25周年コンサートの収録は、1983年3月25日にカリフォルニア州のパサデナ・シビック・オーディトリアムで行われた。
そのステージでマイケルはジャクソン5のメンバーとともに、モータウン時代のヒット曲をメドレーで歌って25周年に華を添えると、ソロの「ビリー・ジーン」で公の場では初となるムーンウォークを披露する。
曲が終わってスタンディングオベーションの大喝采が送られたマイケルだが、内心では心残りがあった。
というのも、ムーンウォークに続いてスピンしたあとにつま先だけで立って静止するはずが失敗してしまい、静止できなかったのだ。常に完璧を求めてきたマイケルにとって、それは致命的なミスに思えた。
だから家族やスタッフからの称賛に喜びを感じつつも、どこかで満足していなかったマイケルだったが、ステージ裏でタキシードを着た見知らぬ少年に話しかけられた。
「ねえ、一体誰があんなダンスを教えてくれたの?」
少年が自分のダンスに心の底から感動し、憧れと興味の眼差しを向けていることを感じとったマイケルは、そこではじめて自分のパフォーマンスに心から満足したという。
この少年が話をしてくれた時、僕は心からいい仕事をしたんだなと感じました。僕はそんな出来事にとても感動したので、真っすぐ家に戻ると、その夜に起こったことをすべて書きとめたのです。僕の記録はその少年との出会いで終わっています。
(『ムーンウォーク/マイケル・ジャクソン自伝』より)
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(このコラムは2015年4月21日に公開されたものに加筆、修整を施したものです)