世界中のロック・ファンの注目を集めたスーパーグループ、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)が活動休止となったのは1970年の夏のことだった。
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その後、スティーヴン・スティルスとニール・ヤングはソロへ、デヴィッド・クロスビーとグラハム・ナッシュはクロスビー&ナッシュとして、それぞれの道を進む。
1973年の秋、クロスビー&ナッシュがツアーをしていたある日、サポート・ギターのデヴィッド・リンドレーがインフルエンザにかかってしまった。
そこで代役として白羽の矢が立ったのが、のちにイーグルスのメンバーとなって、「ホテル・カリフォルニア」を生むドン・フェルダーだ。
1960年代後半、ニューヨークを中心にバンド活動をしていたドンだが、バンドはブレイクすることなく解散してしまう。
ミュージシャンへの夢を諦めきれず、大陸を横断して西海岸のカリフォルニアへやってきたドンは、持ち前のテクニックで少しずつ評判を集め、クロスビー&ナッシュの前座という仕事を獲得する。
デヴィッド・クロスビーとグラハム・ナッシュは尊敬する先輩であり、そんな2人とステージで演奏できるのだから、ドンはプレッシャーを感じながらも喜んでサポートを引き受けた。
その夜のパフォーマンスは、観客はもちろんデヴィッドとグラハムも満足させ、ドンは正式にサポートメンバーとして加わることになった。
コロラド州デンヴァーを回っていたある夜、グラハム・ナッシュが突然、サプライズ・ゲストを呼んだ。それはCSN&Yの1人、スティーヴン・スティルスだった。
ステージに上がったスティーヴンは、ドンがいるのを見て驚く。
「ドン!いったい、ここでなにをやっているんだ?」
「きみになりすましてるのさ」
それはドンが15歳の頃だった。
地元ゲインズヴィルでも指折りのギタリストだったドンは学校の友人らとコンチネンタルズを結成し、クラブやパーティーで安いギャラで出演していた。
そんなある日、バンドメンバーの1人が連れてきたのがスティーヴン・スティルスだった。
ゲインズヴィルにやってきたばかりで泊まるあてもなかったスティーヴンだが、リズム・ギターの腕を買われてドンのバンドに加入することになった。
ところが近くの街でのパーティーに出演した次の日、スティーヴンは何も言わずに姿を消した。
その後、彼は家族の移住先のラテンアメリカに渡ったという。
理由はともあれ、スティーヴンは蒸発してしまったのだ。
僕はその時、彼にはもう2度と会うことはないだろうと思った。
そんな2人が10年以上を経てステージで予期せぬ再会を果たしたのだ。
ドンもスティーヴンが来ることは知らされておらず、グラハムもまた2人がかつて同じバンドにいたということは知らなかった。
彼がいつもの位置につくと、僕らは熱っぽい演奏をくりひろげて観客を圧倒した。
それは、一生に1度しかない、クロスビー・スティルス・ナッシュ&フェルダーのパフォーマンスだった。
ドン・フェルダーは自伝でそう記しているが、自伝が発売されてから6年後の2014年4月5日に、ドンとCS&Nとの共演は再び実現した。
2013年から毎年スティーヴン・スティルスが主催している自閉症を支援する慈善コンサート、ライト・アップ・ザ・ブルースの2回目で、ジョン・メイヤーも加えた5人で「ウドゥン・シップ」を披露したのだ。
スティーヴンとドンは再会した時さながらの熱いギター・ソロを展開し、ジョンもそれに負けじと続いている。
参考文献:
『ドン・フェルダー自伝 天国と地獄 イーグルスという人生』ドン・フェルダー著 山本安見訳(東邦出版)