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夢のカリフォルニア〜ママス&パパスの名曲にまつわる時代背景と誕生秘話

2025.03.17

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1965年のこと。ジョン・フィリップス、ミシェル・フィリップス、キャス・エリオット、デニー・ドハーティという、一組の夫婦を含んだ男女4人によって、ママス&パパスは結成された。

彼らが同年に放ったデビューシングル「California Dreamin’(夢のカリフォルニア)」は、たちまちヒットチャートを駆け昇り、時代を代表する一曲となる。

「California Dreamin’」/ママス&パパス


木の葉は枯葉色、空はどんより鉛色
そんな冬の日、僕は散歩していた
もしロスにいれば 気持ちが安らぎ暖かいのに
こんな冬の日には カリフォルニアを夢見るんだ


その“時代”とはどんな時代だっのか?

彼らは当時、ウエストコースト・ロックの特徴でもあった“フォークロック”の先駆者であり、サンフランシスコを中心に全米に広がっていったフラワームーブメント(平和運動)の中心にいた。

ベトナム戦争を背景に、平和と愛の象徴として花で身体を飾っていた若者たちは、“フラワーチルドレン”と呼ばれた。『武器ではなく、花を』をスローガンに掲げた約10万人の若者たちが、サンフランシスコのヘイト・アシュベリー周辺に集まり、“サマー・オブ・ラブ”という社会現象まで巻き起こすこととなる。

サンフランシスコ以外にも膨大な数のヒッピーたちがニューヨーク、ロサンゼルス、フィラデルフィア、シアトル、ポートランド、ワシントンD.C.、シカゴ、カナダのモントリオール、トロント、バンクーバーやヨーロッパの各都市に集った。

当時のサンフランシスコは、音楽、ドラッグ、フリーセックス、表現、政治的意思表示の中心地、ヒッピー革命の本拠地となっていた。

1967年、リーダー的存在だったジョン・フィリップスが、史上初の野外ロックコンサート『モンタレー・ポップ・フェスティバル』のプロデュースに関わり、ママス&パパスは時代を象徴するグループとなった。彼らはその後、クロスビー,スティルス&ナッシュの結成を応援したり、ジョニ・ミッチェルのデビューに貢献したりもする。

さかのぼること数年。1962年のある日の出来事だった。

まだハイスクールの学生だったミッシェルは、カリフォルニアのライヴハウスへフォークバンド“ニュージャーニーメン”のステージを観に行く。彼女はそこで演奏していた背の高いギタリストのジョン・フィリップスに一目惚れした。

二人はその日のうちに意気投合し、駆け落ちのような形でニューヨークへ向かったという。同年の年の瀬(12月31日)に二人は結婚。ミッシェルはあるTV番組で、当時のことを振り返りながらこんなエピソードを語っている。

友だちはニューヨークは寒いからウールを着ていった方がいいとアドバイスしてくれたけど、私はその意味をちゃんと理解せずに薄着のまま冬のニューヨークで寒さに震えていたの。 ある夜、モーテルの一室で寝ていると夜中にジョンが「曲が出来たから起きてくれ」と言って起こされ、一緒に曲作りを手伝ったわ。 それが「California dreamin’(夢のカリフォルニア)」だったの。


1965年、二人はカリフォルニアに戻って、旧友のキャス・エリオットやデニー・ドハーティと合流し、ママス&パパスを結成する。 

彼らはヒッピーのような生活を続けながら、当時「Eve of Destruction(明日なき世界)」や「Green Green」のヒットで頭角を現していたカリフォルニアのシンガーソングライター、バリー・マクガイアの家に転がり込んでいた。

そこで彼のバックバンドの仕事をしたり、レコーディングにも参加していた。実はこの「California dreamin’(夢のカリフォルニア)」は、最初バリー・マクガイアがリードボーカルでレコーディングしたのだという。

それは彼らからバリーに対する「居候(いそうろう)」や「仕事」の御礼の意味でもあった。ところが、その歌入れの翌日に、当時のプロデューサーが「これは彼らの曲だから、やっぱり彼らに歌わせよう」ということになり、急遽ママス&パパス4人でのバージョンが録音されたのだ。

そのシングルレコードがいきなり全米4位の大ヒットとなり、セカンドシングル「Monday Monday」は見事1位を獲得する。両曲を含むファーストアルバムもヒットして、彼らは一躍スターへの階段を駆け上っていく。

1967年にスコット・マッケンジーが歌って空前の大ヒットとなった「San Francisco(花のサンフランシスコ)」は、スコットと幼なじみだったジョン・フィリップスが手掛けたものだった。 

「San Francisco」/スコット・マッケンジー


そんな輝かしい成功の影で、グループ内での不倫などが発覚し、ママス&パパスの活動期間は1965年~1968年とわずかなものとなった。1971年から一年間だけ再結成されたこともあったが、その後は各々が別の道を歩む形となった。

解散の翌年(1969年)、グループを崩壊へ追い込んだ“不倫騒動”の原因を作ったミシェル・フィリップスは、映画俳優デニス・ホッパーと結婚し、たったの1週間で離婚したという。

彼女はその美貌を活かして1970年代から女優として再スタートを切り、数作の映画に出演した後、主な舞台をTVドラマの世界に移す。「新スタートレック」「デスパレートな妻たち」「ビバリーヒルズ高校白書」などなど、日本でも有名なドラマに多数出演した。

時は流れて1998年。ママス&パパスは、60年代後期に成し遂げた様々な功績が認められ“ロックの殿堂入り”を果たした。

ビーチ・ボーイズやカーペンターズ、そして盲目の天才アーティスト、ホセ・フェリシアーノが素晴らしいカヴァーバージョンを聴かせてくれる中、日本では“アイドルグループ”の元祖ともいえるキャンディーズが歌っていたり、メロコアバンドHi-STANDARDがカヴァーをしている。また、アジア独特の様式美を映像の世界で表現する映画監督ウォン・カーウァイの大ヒット作『恋する惑星』(1994年)の劇中でも、同曲が効果的に使用されて話題となった。


「California Dreamin’」/映画『恋する惑星』より

「California Dreamin’」/ホセ・フェリシアーノ

「California Dreamin’」/Hi-STANDARD

ママス&パパス『If You Can Believe Your Eyes & Ears(夢のカリフォルニア)』

ママス&パパス
『If You Can Believe Your Eyes & Ears(夢のカリフォルニア)』

(1966/ユニバーサルミュージック)


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