この楽曲は1986年に竹内まりやが中森明菜のアルバム『CRIMSON』への提供曲として書き下ろしたもの。
翌1987年に自身の16枚目のシングルとしてリリースし、以降、彼女の代表曲として長きに渡ってファンに愛され続けている。
歌詞には、駅で繰り広げられる男女の切ない“すれ違いの情景”が見事に描かれている。
なんとも言えない余韻を残しながら幕を降ろすその物語には、二通りの解釈があるという。
彼が“私だけを痛いほど愛してくれていた”と気づく。
彼のことを“私だけが痛いほど愛していた”と気づく。
作者の竹内がこの歌詞の込めた思いは前者の方だという。
しかし、中森は後者の解釈で歌唱しているのだという。
実に日本語の面白さを感じる一行である。
もしかすると聴き手の心理状況で、聴こえ方が違ってくるのかもしれない。
後に竹内自身は「楽曲提供の依頼がなければ自分のために書く事はなかったタイプの曲ですね」と語っている。
ところで、この歌に出てくる“駅”が実在したことをご存知だろうか?
これまでも諸説あったのだが、数年前に作者の夫・山下達郎のラジオ番組によって明らかにされたのだ。
2013年3月17日、山下がパーソナリティを務めるFMラジオ番組に一件のリクエストが届いた。
「あの駅が移設されて寂しいから…かけて下さい」
それは、妻・竹内まりや本人からのリクエストだった。
山下はその日の放送の最後にこの「駅」を流した。
妻が27年前に書いた楽曲の舞台となった場所(駅)がなくなってしまい、寂しがる妻への彼なりのなぐさめだったのかもしれない。
その放送のつい二日前(3月15日)に東急東横線渋谷駅の地上2階にあったホームの使用が終了となり、翌日から地下にもぐることとなった。
85年間使用されたその駅を惜しみ、たくさんの人が渋谷駅を訪れたという。
東京で暮したことのある者、東京を訪れたことのある人にとっては、それぞれに思い出のある駅。
開発と共に日に日に表情を変えてゆく街、渋谷。
竹内もかつて、通学するときにその駅を利用していたという。
この歌に唄われているように、駅という場所は、色々な人の様々なドラマや思い出が交差する場所なのだ。
【佐々木モトアキ プロフィール】
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