そして最後には
人が得る愛の総量と
人が愛する総量は等分となる
ビートルズ最後のスタジオ録音アルバム『アビーロード』の最後に収められている「ジ・エンド」で、ポール・マッカートニーは、愛についてそう定義している。
ここで思い出すのが、デカルト、ライプニッツらが提唱したエネルギー不変の法則だ。エネルギーは、その形が変化しても総量は変化しない、という物理学の基本原則のひとつとなった考え方である。
ポール・マッカートニーは、愛=エネルギーと考えたのだろう。
たとえば、君が「1」という愛のエネルギーを得たとすれば、その時点でエネルギーの総量は「-1」となる。だからこそ、何かの形で「+1」のエネルギーを補填しなくてはいけない、ということである。
元々、人々はポールが歌うように、シンプルに生きてきたはずだ。
子供はお母さんが作ってくれた手料理というエネルギーを得て大きくなっていく。彼、もしくは彼女は、「ごちそうさま」という言葉と笑顔で、何とかエネルギーを返そうとする。
そして、それでも返し切れないと思った子供は、大人になったら別の形で親から受けた愛を返そうと考える。返し切れないエネルギーは「恩」と呼ばれた。まだまだ、人間関係に潤いがあった時代の話だ。
昔から人々はお金を使ってきた。それは「エネルギー返済」のための仮の道具だった。物々交換、つまりエネルギー等価交換では必要なエネルギーが手に入らない時、お金は便利な道具だったのである。パンが食べたいが、代わりに渡すお米がない。そんな時に、お金はお米の代わりとして機能した。
だが、人間関係に潤いがなくなっていくと、代替の道具であったはずのお金は、我が物顔で振る舞い始める。お金が金や銀で作られていた時代はまだ総量に劇的な変化が起こることはなかったが、やがて紙で刷られるようになると、「総量」という規制が失われていくことになる。
「恩」は「利子」に置き換えられた。そして、平等であるはずのエネルギーは「相場」という荒波を漂う小船のようになった。そんな時代には、お金さえ、ノスタルジックな存在となる。
君は僕に絶対、お金をくれることはない
君がくれるのはおかしな紙切れだけだ
ポール・マッカートニーは「ジ・エンド」が収められた『アビーロード』の「ユー・ネバー・ギブ・ミー・ユア・マネー」の中でそう歌っている。
そして紙切れは、ネットワーク上の仮想の数字となった。
パンを買うために少しだけ必要だったはずのお金は……。
僕らは、通信費のために、医療費のために、防衛費のために、そして借金返済のために働き続けなくてはいけなくなっている。
*このコラムは2015年4月に公開されました。

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