ミシシッピ・デルタはナショナル・ギターのように
輝いていました
僕は川沿いに
南北戦争の跡地を
ハイウェイで下っていくのです
ポール・サイモンの「グレイスランド」はそんな描写から始まる。1986年のグラミー賞最優秀アルバムとなる同名アルバムのタイトルともなったこの曲は、エルヴィス・プレスリーの邸宅の名前、グレイスランドについての歌だ。
僕はグレイスランドに
グレイスランドに向かっているのです
テネシー州メンフィス
僕はグレイスランドに向かっているのです
1985年。ポール・サイモンが向かったのは、グレイスランドではなく、南アフリカだった。「コンドルは飛んでいく」など、異国のメロディを取り入れるのに長けた彼は、南アフリカのリズムをバックに何かできないかと考えていたのだ。
そして、現地のミュージシャンとセッションしていたある日のこと、南アフリカのリズムに揺られながら、ポール・サイモンは少年時代によく耳にしたサウンドを思い返していた。
「ドラムのリズムがどこか、アメリカのカントリー音楽のトラベリング・リズムに聴こえたのです」とポール・サイモンは語っている。
「僕はサン・レコードの大ファンです。50年代初期のサン・レコードの作品を聞けば、とてもよく耳にするサウンド、そう、ジョニー・キャッシュのリズムです」
ヘイ・ポーター
ヘイ・ポーター
今、何時だい?
メイソン・ディクソン線を越えるまで
あとどのくらいだ?
ジョニー・キャッシュが歌った「ヘイ・ポーター」は、そんな歌詞で始まる。今と違って列車が移動の中心手段だった時代、列車で旅をする主人公がメイソン・ディクソン線(南北の境界線)を越える、つまり、カントリー音楽の故郷に帰るのを心待ちにする歌である。
ところで、ポール・サイモンは、この曲が収められたアルバムを当初、違うタイトルにしようと考えていた。アパルトヘイト問題で揺れる南アフリカに、わざわざ足を運んで録音した作品である。何かアフリカに関連したタイトルをつけたいと考えていた。
「グレイスランドはあくまで、仮のタイトルでした。でも、僕にはどういうわけか、このタイトルを置き換えることができませんでした」とポール・サイモンは言う。
「そして思ったのです。たぶん、僕はグレイスランドへ行くべきなのだ、と。僕自身が書こうとしている曲の場所を旅するべきだ、と。そして僕は実際、グレイスランドを訪れてみたのです」
ルイジアナ州からルート61を通ってグレイスランドへ向かう。それがポール・サイモンの旅の行程だった。車から見えるミシシッピ川はナショナル・ギターのように輝いていた、とポール・サイモンは書いている。ナショナル・ギターというのは、カントリーや南部のブルースでよく使われたドブロ・ギターのことである。
貧しい少年たちと家族連れの巡礼者たち
そして僕らはグレイスランドに向かっているのです
僕の旅の連れは9歳で
彼は僕の最初の結婚相手との間にできた息子です
僕にはどういうわけか
僕らはきっと受け入れてもらえるような気がするのです
グレイスランドに
ポール・サイモンが歌詞に綴ったこの一節は、珍しく彼の実生活を反映している。破綻寸前だった結婚生活。彼は息子とふたりでグレイスランドを訪れたのだ。
旧き良きアメリカ。はるばる南アフリカに足を運んだポール・サイモンが見つけたのは、心の故郷だったのだ。
●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから