デレク・アンド・ザ・ドミノスの「レイラ」に参加したことで、一気にデュアン・オールマンの名声は高まった。ギターの神とも呼ばれたエリック・クラプトンがアメリカン・ロックに挑戦した時、クラプトンと真向に渡り合えるギタリストがいたことに、アメリカのロック・ファンは喝采を送った。
そしてデレク・アンド・ザ・ドミノスがクラプトンとデュアンのツイン・ギターでファンを魅了したように、デュアンのバンド、オールマン・ブラザーズ・バンドでも、デュアンとディッキー・ベッツによる2本のギターが絶妙なアンサンブルを奏でてみせたのである。
デュアン・オールマンが、セカンドカミングのギタリストだったディッキー・ベッツや弟のグレッグ・オールマンらとオールマン・ブラザーズ・バンドを結成したのは、1969年のこと。地元のカプリコーン・レコードと契約するが、さほどの成功は収められなかった。
だが、1971年にライブ盤『アット・フィルモア・イースト』が発売されると、そのスリリングなライヴが圧倒的な支持を集めることになる。中でも圧巻だったのは、「エリザベス・リードの追憶」「ウィッピング・ポスト」「マウンテン・ジャム」といった15分から30分にわたって繰り広げられる演奏だった。
そしてファンの間では、当然、疑問が浮かんだ。
エリザベス・リードって誰なんだ?
「エリザベス・リードの追憶」は、ディッキー・ベッツの作品である。ベッツは、この曲のアイディアをマイルス・デイヴィスの1959年の作品『カインド・オブ・ブルー』に収録されている「オール・ブルース」から得たことを認めていた。オールマン・ブラザーズ・バンドのジャム・セッションは、彼らなりのジャズのサザン・ロック的解釈だったのだろう。
だが、ベッツはエリザベス・リードが誰であるかについて、説明することはなかった。そんな時、デュアンが地元マスコミにヒントを与えたのである。謎を解くカギは、ローズ・ヒル墓地にある、と。
ローズ・ヒル墓地は、バンドのメンバーが暮らしていた場所からほど近いところにある公園墓地である。そしてその墓地を調べてみると、確かにそこには、エリザベス・リードの名前があった。
Elizabeth Johns Reed Napier
Nov.9,1845 – May.3,1935
エリザベス・リードは1845年に生まれ、1935年まで生きた女性だった。
「ディッキーはあの墓の前でガールフレンドとファ×クしたのさ」
デュアンがそう漏らした、という説もある。
だが、最後まで、ディッキー・ベッツは真相を語ろうとしなかった。エリザベス・リードという名前に託した女性が誰かを明かせば、友人を裏切ることになるからだった。
そう、ディッキー・ベッツは、当時、ボス・スキャッグスのガール・フレンドとこっそりデートを重ねていたのである。
だが、オールマン・ブラザース・バンドの人気が全米に広がっていった1971年の晩秋。デュアンはオートバイ事故で短すぎる一生を閉じることになる。
伝説のスライド・ギタリストは、エリザベス・リードも眠る、ローズ・ヒル墓地に埋葬された。そして「エリザベス・リードの追憶」は、そのままデュアン・オールマンの追憶となったのである。
The Allman Brothers Band
●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから