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駅近く、黒いカーテンの白い部屋
そこからは黒い屋根の家並みと
薄汚れた舗道と
疲れ果てたムクドリが見える
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クリームが1968年に発表した「ホワイト・ルーム」は、そんな歌詞から始まる。作曲はベースのジャック・ブルース、そしてこの詩を書いたのは、ジャックの友人でもあった詩人のピート・ブラウンである。
ボブ・ディランのイギリス公演にビート詩人のアレン・ギンズバーグが同行したことなどもあって、イギリスでも前衛的な、新しい詩人たちが登場していたし、ロック・バンドが歌う歌詞も、単なるポップ・ソングの息を超えていく傾向にあった。実際、クリームがこの作品を発売する1年前には、ビートルズが『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表し、ローリング・ストーンズはその直後にサイケデリックな『サタニック・マジェスティーズ』を発売している。
だが、ビッグ・ビジネスとなっていったロック・ミュージックとは違い、詩人たちは、詩を書いたり、読んだりするだけでは、とても生計を立てていくことは難しかった。そしてピートもそんな詩人のひとりだったのである。
ジャック・ブルースとドラムスのジンジャー・ベイカーから声がかかると、ピートがその誘いを断る理由はなかった。生活をするためには稼ぐ必要があったし、ピート自身、ドラッグとアルコール漬けの日々と縁を切るきっかけを探していたのである。
「ホワイト・ルーム」はジャック・ブルースが書いたメロディーにピートが詩をつける、というスタイルで作られていった。
だが、ピートが最初につけた詩(それは「シンデレラの最後のお別れ」と名づけられていた)は、即座に却下されてしまう。
そこでピートは、書き溜めていた詩のノートを取り出した。どういうイメージが欲しいんだ、とジャックに問いただしたのである。そしてピートは、8ページに渡って綴られていた詩のエッセンスを、ジャックのメロディーに乗せ直す作業にとりかかったのである。
白い部屋。それは人生を立て直そうと、ピートが実際に新しく借りて住み始めていた部屋だった。水漆喰で塗り直された白い壁の部屋からは、黒い屋根の家並みが見えた。1960年代まで走り続けていた蒸気機関車が吐き出した煙が屋根を黒く塗ってしまっていたのである。
そして1960年代から1970年代のイギリスは、他の欧州の国々からは「欧州の病人」と呼ばれるほど経済が停滞していた。街からは活気が失われ、公害汚染も表面化し始めていた。疲れ果てたムクドリは、そのメタファーである。
サイケデリックな時代。だが、クリームが歌う世界は、白と黒。モノクロームの陰鬱としたイギリスであった。
ピート・ブラウンは今でも詩人として活躍し続けている。「青い影」のヒットで有名なプロコルハルムがデビュー50周年に当たる今年、発表したアルバム『乙女は新たな夢に』で、ピートは詩を担当している。アルバムからは「サンデイ・モーニング」がシングルカットされた。ジョー・ターナーの「サンデイ・モーニング・ブルース」を英国的に解釈したのだと、ピートは説明している。
1940年生まれ。ジョン・レノンと同じ年に生まれた詩人は、まだまだ健在である。
(このコラムは2017年6月22日に公開されました)