第2の◯◯、新世代の◯◯という言い方がある。
オリジナリティを否定するということで最近はあまり使われなくなったが、1970年代までは、偉大なる1960年代のアーティストへの尊敬の念を込める意味でも、よく使われていたのである。中でも、第2のボブ・ディランは何人いたことだろう。
そんな第2のディランの中でも、最後発ともいえるのが、1978年に『アライヴ・オン・アライヴァル』でデビューしたスティーヴ・フォーバートだった。
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ローレルに行くのさ
そこは汚く
臭い街
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『アライヴ・オン・アライヴァル』の1曲目に収録された「ゴーイング・ダウン・トゥ・ローレル」は、ミシシッピの田舎町に生まれた主人公が、ミシシッピのローレルという街に出かけていく様子が歌われている。
日本でいえば、地方の田舎に生まれた主人公が地方都市、それもあまり大きくない町に出かけていく歌を、東京で歌うようなものである。だが、スティーヴは、このナイーブな歌世界とハスキーな声とギターだけ持って、ニューヨークにやってきたのである。
1970年代後半のニューヨークはといえば、ニューヨーク・パンク全盛の頃である。ミシシッピから出てきたGジャンの青年は、場違いに映ったことだろう。
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ひとりの男を見た
感情を抑えられず
泣き崩れた男
今夜ほど
家から遠くにいると
感じたことはない
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スティーヴは、ニューヨークで暮らしながら、曲を書きためていく。上記の曲は、同じ『アライヴ・オン・アライヴァル』に収録されている「トゥナイト・アイ・フィール・ソー・ファ・アウェイ・フロム・ホーム」という作品の一節である。
<フォーク・シティ><ローンスター>といった店で歌い続け、固定客もつくようになっていったある日、彼は書いたばかりの曲をステージで披露した。
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真夜中に会っておくれ
すべては大丈夫だっていう
君の声が聴きたいのさ
君から漂ってくる
月の香りを嗅ぎたいのさ
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後に「ロミオの歌」と題されるその曲は、これまでの自伝的なそれとは違い、とてもロマンティックなラブソングだった。
「その曲、ヒットするぜ」
歌い終わると、<フォーク・シティ>のスタッフが言った。
「ロミオの歌」は、デビュー・アルバムには収録されなかった。他の歌たちから浮いてしまうからという判断だった。
そのおかげで、スティーヴはこの曲を熟成させる機会を得ることになる。ケニー・ロギンスの前座として各地をツアーしながら、歌詞を書き直し、何度も録音し直した「ロミオの歌」は、セカンド・アルバム『ジャックラビット・スリム』に収録され、シングル・カットされると、彼の最大のヒット曲となった。
1979年。
第2のディランとして、スティーヴ・フォーバートが「ロミオの歌」をヒットさせた年。
この頃から、ヒットチャートは、ビージーズのディスコ・ナンバーに席巻され、その後、時代はMTV全盛となっていくく。そして第2の◯◯というキャッチフレーズは聞かれなくなっていった。
だが、今でもスティーヴ・フォーバートは、地道に彼の歌を待っている人たちのところで歌い続けている。