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僕らの世代が見たビートルズとジョン・レノン~斉藤和義、真心ブラザーズ

2024.12.09

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1966年夏、ビートルズの初来日に、日本中が沸き立った。

当時10代~20代だった多くの若者は、たとえ来日公演を見ることができなくても、ラジオやレコードから流れるビートルズの音楽をリアルタイムで聴きながら、驚きと熱狂を肌で感じていたはずだ。音楽を志していた若者の多くが、ビートルズから多大な影響を受けたことは言うまでもない。

しかし、リアルタイムにビートルズを体験しなかった世代にとっても、ビートルズからの影響を受けた者は少なくない。ビートルズ来日前後の年に生まれた二組のアーティストが、自分たちにとってのビートルズについて歌うことを試みている。

斉藤和義は、まさにビートルズが日本に降り立つ数日前に産声をあげた1966年生まれだ。

1993年発売のデビュー曲となった「僕の見たビートルズはテレビの中」は、斉藤がまだデビューも決まっていなかった頃に作っていた歌だ。その歌について斉藤はこのように語っている。

イラクのクエート侵攻(’90年8月)とか多国籍軍のイラク空爆(’91年1月)のニュースで感じた“ヤバイな、戦争になっちゃうのかな?”という不安や“戦争なんてやめようよ”という想い、ビートルズを生で聴けたあの憧れの’60年代を体験していながら何てだらしないんだ、という大人への苛立ち、まだデビューするあては全然なかったけど、世の中で流れているどの歌よりオレの歌の方が断然いいのに…という不満、先が見えずにバイトを転々としている自分への腹立たしさ、みたいな、自分自身と社会に対するモヤモヤが歌になっている。(~別冊カドカワの本「斉藤和義本」より)


僕の見たビートルズはテレビの中



「青い空の下…」

最初、ギタリストとしてミュージシャンを志していた斉藤にとって、自分で歌おうと決心した23歳の頃に初めてできたのがこの歌だ。そして斉藤は、デビューも決まらずバイトに明け暮れていた頃に、全てのビートルズのアルバムを聴いていたといい、曲作りで参考になっているのはビートルズだとも語っている。

そしてもう一組は真心ブラザーズ。YO-KINGこと倉持陽一は1967年生まれで、桜井秀俊は1968年生まれだ。

1996年に発売されたシングル「拝啓、ジョン・レノン」は、倉持の作詞作曲だ。歌詞の一部の過激さから、いくつかのFM局では放送禁止になったという。

一部のジョン・レノン信奉者の気分を著しく害したようだが、曲全体を通して聴くと、彼らのジョンに対する痛切な届かぬ思いが歌われていることを理解できるはずだ。

拝啓、ジョン・レノン


「GREAT ADVENTURE」

ビートルズ初来日の前後1~2年あたりに生まれた、斉藤和義や真心ブラザーズを含む“僕ら”の世代にとって、ジョン・レノンが凶弾に倒れた1980年は、ちょうど“ティーンエイジャー”の突入を迎える頃だった。

そのニュースは、まだなんとなくビートルズを知っているくらいの年頃だった“僕ら”にも、強烈な印象を残したのかもしれない。ラジオから度々流れてくる「イマジン」が何となく耳に入り、“僕ら”の世代にとってジョン・レノンは後に、力強い平和のメッセージを歌ったビートルズの象徴的存在として映ることになった。

そしてさらに、1960年代のビートルズをリアルタイムで体験した世代に対して、強い憧れを抱くのも“僕ら”の世代だ。同時にその世代の大人たちに対しての厳しい視点も持っている。

ミュージシャンを志す者にとって、いつの世代にもビートルズは憧れであり、学びであり、時に越えられない大きな障壁になることもある。

斉藤は「なぜだか妙に“イマジン”が聞きたい」と歌い、真心は「ビートルズを聴かないことで何か新しいものを探そうとした そして今ナツメロのように聴くあなたの声は優しい」と歌う。

まだ戦争や暴力がなくならない社会への怒り、そして自身の心の揺れや足掻きなどを歌いながら、結局はジョン・レノン、ビートルズという大きな優しさに包まれている自分自身を、両者は赤裸々に歌っている。

彼らの等身大のロック魂溢れる、ジョンやビートルズへの熱い想いが感じられる歌なのだ。



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