ビート・ジェネレーション以降のアメリカを代表する作家のチャールズ・ブコウスキーの「Charlie, I’m pregnant(チャーリー、私は妊娠している)」という詩を下地にして、トム・ウェイツは「Christmas Card From A Hooker In Minneapolis」というクリスマス・ソングを1978年に発表した。
昨日のTAP the POPでは、「ねぇ チャーリー 私 妊娠しているのよ」と始まるクリスマスカードを、かつての恋人から受け取った男の歌が、“浮き足立ったXmasシーズンに独りグラスを傾けてみるのも悪くない”と紹介されていた。
<参照・Xmasの歌〜ミネアポリスの女からのクリスマスカード〜>
浮き足立ったXmasシーズンといえば、トム・ウェイツよりも少し前のことになるが、甲斐バンドが「かりそめのスウィング」という歌を発表している。
哀愁が漂うヴァイオリンのイントロが印象的な「かりそめのスウィング」は、ウッド・ベースにガット・ギターという編成で、当時にしてはきわめて斬新なサウンドだった。
これはベルギー生まれのジャズ・ギタリストで、ロマ音楽とスウィング・ジャズを融合させてジプシー・スウィングを生み出したジャンゴ・ラインハルトの代表曲、「Minor Swing(マイナー・スウィング)」を下地にしたものだ。
ジャンゴの編み出したジプシー・ジャズはヨーロッパを中心に、いまでも多くのミュージシャンに影響を与え続けている。
1975年の夏に「裏切りの街角」がヒットした後、「かりそめのスウィング」は甲斐バンドの3枚目のシングルとして発売された。
それほどヒットはしなかったが、ジャンゴ・ラインハルトを日本語にして、そこにクリスマスの夜を描いた独特な美意識とアプローチは、甲斐バンドの存在を音楽ファンに知らしめることになった。
ところでここで歌われた「不況」とは、1973年に起こったオイルショックのことである。
1973年10月6日、第四次中東戦争が勃発したことによって、OPEC(石油輸出国機構)に加盟していたペルシア湾岸の産油国は、原油公示価格を大幅に引き上げると発表、原油生産の削減及びイスラエル支援国への禁輸を決定した。
原油価格その後、2倍にまで引き上げられた。
ペルシア湾岸の産油国に輸入の90%近くを依存していた日本では、景気が急速に悪化して便乗値上げが相次ぎ、インフレが加速した。
トイレットペーパーや洗剤の買占め騒動が起こり、省エネ対策として深夜の電力消費の抑制が打ち出された。ネオンの早期消灯、テレビジョン放送の深夜放送休止、デパートのエスカレーター停止などが実施され、社会現象となって巷は一時、騒然とした。
公定歩合の引き上げが行われたことで企業の設備投資などが抑えられたために、1974年は戦後になって初めてのマイナス成長となり、経済は不況に陥った。
戦後経済の基礎となっていた低価格の原油供給というシステムを崩壊させたオイル・ショックで、10数年間も続いていた高度経済成長にも終止符が打たれた。
日本はエネルギー革命という政策をかかげて、戦後復興に貢献した石炭産業を切り捨てた。
だがオイルショックによって、もう石油は安心できないとエネルギー需要を原子力発電にシフトしていく。
オイルショックを境にして堰を切ったように、官民挙げての建設ラッシュが起こった。
最初の商業用原子炉が運転を再開したのは1966年だが、オイルショック前までの原発はわずか4基に過ぎなかった。
それが4年後には12基になり、その後も増え続けて54基となって現在に至っている。
そうした歴史の転換期にあったことを、当時の人が自覚していたわけではない。
しかしそれほどヒットしなかった歌の一節に、はっきり見えてはいなかったにもかかわらず、時代の変化についていけないもどかしさが刻み込まれていた。
二人が誰なのか、あいつが何者なのか、ひきずってきた悲しみも、生きてきたむなしさも、聴く側に放り投げられたまま歌は終わっている。