松任谷由実は、3枚目のアルバム『コバルト・アワー』について、それまでとは発想を変えて作ったと語っている。
私小説というコンセプトに基づいていて作られたファーストの『ひこうき雲』とセカンドの『MISSLIM』は、もう二度とできないという意味からしても、まぎれもなく私小説と呼べる作品だった。
それしかやるすべがなくて、今まで思春期とか、幼少時代送ってきたのをすべてはき出していたアルバムが『ひこうき雲』と『MISSLIM』という二枚なの。
そこで私小説からの脱皮とシンガー・ソングライターとしての確立を目指し、プロの音楽家が新たなる表現に挑んだのがサード・アルバム『コバルト・アワー』である。
そんな意欲的なアルバムを代表する曲が、先行シングルとして発売された「ルージュの伝言」だった。もとはといえば「何もきかないで」というポップな曲が書けたので、それをシングル盤で出すことを想定して、それならばとアメリカンポップス調の曲をB面用に作ったという。
自分でこういうものを作ろうと意識してつくり出した、本当によく覚えている、好きな曲なのよ。
自身の体験を題材にした私小説的な狭い世界から抜け出すために、あらためて自分の中に何があるのかと向き合ったとき、ユーミンが見つけたのは、兄の影響で聴いていた60年代のレコードだった。
さっそく兄が持っていたレコードの中から気に入ったシングル盤たちを取り出して、それらをエンドレスで聴いていて、ある映画のシーンが浮かんできた。
そこから懐かしの60年代を感じさせる「ルージュの伝言」が誕生し、A面に昇格してシングルになったことで、ユーミンに初のヒットをもたらしたのだった。
自分の引き出しに初めて気がついたの。私は引き出しをあけながらものを考えていくんだ、ということを漠然と考えて、そういえば60代年ポップスの引き出しというのも、兄なんかの影響でもっているんだったと思って作った曲なのよ。
兄のシングル盤の中にはおそらく、ニール・セダカの「恋の一番列車(Going Home To Mary Lou)」もあっただろう。歌い出しの「ディンドン ディンドン」という言葉が印象的なこの曲は、本国のアメリカではシングルになっていないのだが、1961年暮れから62年前半にかけて日本だけで大ヒットした。
「恋の一番列車」の歌い出しは「Ding-Dong(ディンドン)」という鐘の音を表す英語から始まるが、ユーミンは「ルージュの伝言」で時間の動きを表す日本語の「どんどん」に重ねて使っている。それらが歌詞のなかでアクセントになって、アメリカン・ポップスの懐かしい空気感を醸し出していた。
またサウンドは懐かしい60年代ポップスでも、「バスルームに ルージュ」と「ルー」の韻をつなぐ歌詞のセンス、「Ding」から「Dong」と「Daring」とくり返すあたりに、それまでの日本の歌には見られない新鮮さがあった。
そしてユーミンの歌詞にはもうひとつ、表現の仕方にも新しさが感じられたのである。時間と空間が流れていく感覚が、実に映像的に描かれていたからだった。
ニール・セダカの「恋の一番列車」が日本でヒットしていた同じ時期に、実在したコールガールをモデルにした映画『バターフィールド8』のなかで、悲劇的な運命をたどるヒロインを演じたエリザベス・テイラーはアカデミー主演女優賞に輝いた。
エリザベス・テイラーのなんかの映画の、鏡に別れの言葉を書いて家出していくシーンを覚えていてね、そのイメージをダブらせながら書いたの。すごく早くできたの。
バターフィールド8
本業のモデルとは別に、“バターフィールド8”の名で呼ばれるコールガールだった彼女はある朝、仕事の関係をこえて本当に好きになってしまった紳士のアパートで目を覚ます。そしてテーブルに置いてある250ドルの現金を発見したとき、鏡に向かって口紅でこう書きなぐって部屋を出ていく。
「No Sale」
その怒りと悲しみが混じった印象的なシーンから、ユーミンは自分のオリジナルな物語を展開していったのである。ポップスの職人たらんとした大瀧詠一は、オリジナリティーについてこんな名言を残している。
ポップスの分野で、過去の名曲を下敷きにして曲を作ることは、当り前のことで何も悪いことではないのである。要はそれがどれがけ良い曲になるか、その名曲を越えようという意識がどれだけあるか、にかかっている。それをポップスではオリジナリティーと呼んでいる
ユーミンはポップスにおけるソングライティングにおいても、ここから王道を歩んで世界を大きく広げていくことになる。
(注)本コラムは2016年1月22日に公開されました。
松任谷由実オフィシャルサイト

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