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亡くなった恋女房のための鎮魂歌だった「王将」〜すぐれた歌詞の背後には必ず物語が潜んでいる~

2017.12.31

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1961年の夏は近代生活の必需品という触れ込みで、旭化成から「サランラップ」という新商品が売り出された。
厚さ10ミクロンのラップは空気や水をほとんど通さないために、冷蔵庫が普及し始めた家庭では必需品となっていく。
アメリカで誕生したラップの急速な普及で日本の食生活はアメリカ化が進み、台所の呼び名はキッチンに変わった。
前の年に発売されたインスタントコーヒーに続いて、粉末インスタントクリームの「クリープ」が森永製菓から発売になった。

食生活がアメリカ化する決定打になったのは10月で、それまでは米軍用に限られた輸入物しかなかったコーラが、日本人向けの商品として出回るようになったことだ。
貿易自由化のおかげで原液の輸入が認められたので国内製造が始まり、普通の日本人でもコカ・コーラを飲めるようになった。

音楽シーンでもその年はアメリカ化が一気に進み、ロカビリーブームの延長で流行していたアメリカン・ポップスが、ティーンエージャーたちを夢中にさせていた。
春に渡辺マリの「東京ドドンパ娘」、晩秋から冬にかけては坂本九の「上を向いて歩こう」が大ヒットした。


大人向けの歌ではジャズメンの植木等が歌った「スーダラ節」が一世を風靡し、西田佐知子の「コーヒー・ルンバ」や越路吹雪の「ラストダンスは私に」もヒットした。

そんな流れに抗うかのように作られたのが、浪曲の第一人者から歌謡曲に転じた村田英雄の「王将」である。
早稲田大学の教授としてフランス文学を教えていた詩人の西條八十は当時69歳、歌謡曲の世界でも「東京行進曲」「サーカスの唄」「越後獅子の唄」「芸者ワルツ」などを書いた稀代のヒットメーカーであった。
しかしコロムビアから歌謡浪曲を歌にする「王将」の企画を持ち込まれた西條は、「えっ?今どきこういうレコードを誰が買うんですかね」」と驚きを隠さなかったという。

作曲した新進気鋭の船村徹は当時29歳だったが、持ち前の反骨精神から気持ちが高ぶったと語っている。

私のほうはへそまがりというか、私独自の理屈で動いているから、「王将」の企画にはすぐ賛同した。
たとえば、ここに百円落ちていると、それを十人が拾えば一人十円にしかならないのである。
それが音楽業界の流れだった。
ひとつヒット生まれると、そこに皆が群がっていく。
だから、皆が東に向かったら、一人ぐらいは西を向くやつがいたほうがいい。
その代わり、百円拾えば全額自分一人のものになる。そういう理屈であった。


ただし、船村徹はただのへそまがりではなかった。
東京音楽学校の作曲科で学んでいた頃から、日本人である限りはベートーベン、シューベルト、モーツァルト、バッハといった大作曲家たちが残し作品を超えるのは無理だと思っていた。
だから自分たちにとってオリジナルとは何なのか、日本人の歌とはなんなのかについて常に考えていたのだ。

頑固な勝負師の坂田三吉という将棋棋士を描く浪曲「王将」ならば、民謡や浪花節、都々逸で育ってきた自分にも書けるという自信があった。
やがて西條が書いた歌詞が届いた。

それを見て船村が思わず「吹けば飛ぶよな演歌の旋律(ふし)に/賭けた命を笑わば笑え」と口にしてみると、自然にメロディーが出てきたという。
完成した楽曲を歌った村田自身もまた、「吹けば飛ぶよな演歌の道に/賭けた命を笑わば笑え」という気持ちで唄った。

王将

勝負師の物語を背景にした歌が将棋の世界という枠を超えて、「王将」がたくさんの日本人を励ます唄になったのは最初の一行のなかに、聴き手が自分を重ね合わせられるフレーズ、すなわち絶妙の「つかみ」があったからだった。

「王将」は1961年の大晦日にNHKの紅白歌合戦で唄われてから火がつき、翌年に大ヒットして戦後初のミリオンセラーとなった。

船村はこの歌を書いた後、しばらく日本を離れてヨーロッパに暮らしていた。
そしてパリに滞在しているとき、渡仏してきた西條と一緒になる機会があった。

西條から「あの歌のヒットは船村くんのおかげだよ、ありがとう」と言われた船村は、歌のヒットそのものよりも嬉しいと感じたという。

そのとき、西條は「愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい」という箇所を、数年前に亡くしていた夫人を想い浮かべて書いたと打ち明けた。

「私の女房の鎮魂歌なんですよ」


すぐれた歌詞の背後には必ず、作者の生きてきた生活から生まれた物語が潜んでいる。

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