アメリカ合衆国は、歌でつながっている国だと言ってもいい。
市や町や地域のコミュニティを構成する人々は多種多様だ。
それぞれのコミュニティにとってのアメリカがあり、そこには人々に必要とされる歌がある。
人々を互いに結びつけてきた歌が、コミュニティで唄いつがれて今日に生きている。
“アメリカ音楽の父”とも称されるスティーブン・フォスターは、1864年1月13日にニューヨークの貧民街で、失意のうちに37歳の若さで亡くなった。
都会での孤独死をみとった者はいなかったという。
だが彼が生前に残した多くの歌は、今もなおその生命を保ち続けている。
「なつかしきケンタッキーの我が家(My Old Kentucky Home)」は、ケンタッキーの州歌としてよく知られている。
“スワニー河”の愛称でも親しまれている「故郷の人々(Old Folks at Home)」は、フロリダ州歌として唄いつがれてきた。
フォスターの歌詞は詩としても成立するほど美しく、音楽的にも自然でメロディーにのせて唄いやすい。
それはほとんどの歌詞を、自らが書いていることにも関係するだろう。
たとえば“スワニー河”を作る際には、フォスターは本物の河を見たことがなかったのに、言葉の響きだけで選んだという。
スワニー河は、ジョージア州南部とフロリダ州北部を流れる河だった。
スワニー河へ向かって、遠く、遠く
そこは私の心が向かうところ
そこは懐かしき仲間達がいるところ
アメリカの南部で行われていた大規模な綿花畑(プランテーション)での奴隷生活から逃れ、北部の自由州で生きる黒人達が生まれ育った故郷と子供の頃を、なつかしく思い出す内容だ。
アフリカ大陸から連れて来られた黒人達には、アフリカの大地が故郷だったが、アメリカに生まれた黒人達にとっては、南部の綿花畑が故郷のイメージになったのである。
アイルランド移民の家系に生まれたフォスターは、幼いころに家のメイドによって、黒人教会によく連れて行ってもらっていたという。
そこで聴いた黒人が歌う賛美歌の記憶が、子どもの頃から音楽の根っこにあった。
だからこそ、こうしたテーマの楽曲を生み出せたのであろう。
ブルース・スプリングスティーンは“スワニー河”について、こんなふうに語っている。
素晴らしい歌がたくさんある。
例えば“スワニー河” 誰もが知ってる歌だ。
だが、時が経つにつれ、曲の形が変えられてきた。
みんな原形を知らないんだ。
元の形には理由があるのに・・・
ブルースが1984年に発表した「Born in the U.S.A.(ボーン・イン・ザ・U.S.A.)」は、ベトナムから帰還した兵士が直面したアメリカで生きることの苦しさと、社会的な生活への復帰の難しさに対する抗議の叫びが込められていた。
しかし、そうした思いとは真逆に愛国主義的な内容だと一部で誤解されたことから、それを政治家が都合よく利用しようとしたことで、大きな物議をかもすことになった。
ロナルド・レーガン大統領が選挙運動でこの曲を自分たちのキャンペーン・ソングに使った。
ブルース・スプリングスティーンはすぐにレーガン支持を否定する声明を発表したが、この歌詞が前後の文脈から抜き出されて引用されたのである。
、アメリカに生まれた
俺はアメリカに生まれた
俺はアメリカに生まれたんだ
そうだ 俺はアメリカに生まれた
歌でつながっているアメリカ合衆国だからこそ起こった、曲の形が変えられた出来事だった。
しかし音楽ファンからの強い反発が高まったことで、レーガン陣営は使用を断念させられている。
(注)本コラムは2013年11月29日に公開されました。
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