♪ 妹はアイスクリーム・コーンを手にフロントシート
母さんはひとりでバックシート
父さんはゆっくりとハンドルを切って
ミシガン・アベニューへの試運転へと車を動かすのさ ♪
「ユーズド・カーズ」は、ブルース・スプリングスティーンが1982年に発表した『ネブラスカ』に収録されている。
物語は、主人公がまだ小さな頃、家族と一緒に中古車を買いに出かけた時の思い出から始まる。
描写されるのは彼の父親、妹、そして母親である。
ハンドルを握る父親。その隣の席にいるであろう妹。母親はひとり、後部座席に座っている。
主人公はどこにいるのだろう、と僕は考える。
古いアメリカの車なら、前の座席に3人座ることも可能だろう。
でも、妹と一緒に前の座席に座っているとしたら、いくら回顧シーンだとしても、主人公はこんな描写をするだろうか。
主人公は、家族と一緒に中古車の試乗をしなかったのだ、と僕は考えてみる。
だがそれも、少し不自然な気がする。
だとすれば、主人公はその時の自分の姿を消し、その情景を俯瞰で見ながら、自らの姿を父親に重ね合わせているのだろう。
主人公の視線は、後部座席にひとり座る母親の仕草に向けられる。
♪ そして母さんは結婚指輪をいじりながら
セールスマンが父さんの手に視線を向けるのを眺めてる
勘弁してくださいよ、できるだけ勉強してるんですから、と彼は言う
正直、いっぱいいっぱいなんですから ♪
主人公が生まれる前、母親が夢見たであろう結婚生活。
その思いの痕跡を残す指輪に触れながら、彼女は今ある現実を眺めるのだ。
敗れかけた夢の中の、ほんの一握りの希望。
そしてそんな母親の姿を見て、主人公は言い放つのである。
♪ 宝くじが当たったら、中古車なんて乗らないさ ♪
だが、主人公と家族はその中古車を手に入れる。
そして彼ら家族は、家へとその車で戻ってくるのである。
♪ 新しい中古車を停めると
近所の連中があちこちから集まってくる
父さんがアクセルを思い切り踏み込んで
てめえらとはおさらばだ、と叫んでくれればいいのに ♪
そして、時が流れる。。。
少年は、青年となっている。
過去は、その時の未来である現在になっている。
だが、彼ら家族はまだ同じ土地で同じように暮らしているのだ。
♪ 父さんは同じ仕事で四六時中汗を流してる
俺は生まれ落ちたこの泥んこ路を通って家へと向かう
1ブロック先ではフロントシートに座った妹がクラクションを鳴らす
その音がミシガン・アベニューを木霊する ♪
車には何故か、夢がつきまとう。
環境のことを考えて車を買った人たちがいる。
だが、その車が実は空を汚していたことが、つい最近判明した。
ヴォルクスワーゲン社の不正ソフトウェア問題は、明らかな詐欺事件である。
そして、多くのドライバーは今日もその車に乗り続けるしかないのだ…