2017年2月8日の朝、音楽評論家で作詞家でもある湯川れい子さんが、自身のツイッターでこうつぶやいた。
今から青山葬儀場で、石坂敬一さんのお別れ会です。そこに今朝のYahooで、「涙の太陽」を歌った青山ミチさんが亡くなったと言うニュースが入って来ました。エミー・ジャクソンが英語で歌った曲を、日本語で歌いたいと言うことで、私が英語で書いた曲の日本語詞を作るきっかけとなった方でした。
1949年2月に生まれた青山ミチの父はアメリカ軍兵士、母は日本人だった。
朝鮮戦争の終わった年に父はアメリカに帰国したが、日本に残った母は娘のミチを自分の母の子として出生届を提出、母ひとり子一人で育てた。
青山ミチのデビューは1962年、まだ13歳のときだった。
彼女を見出したのは通称「おけいさん」、当時の日本では珍しい女性ディレクターの藤原慶子である。
青山ミチをスカウトした「おけいさん」は、彼女のためにオリジナル曲「ひとりぽっちで想うこと」を用意した。
そしてB面には他社との競作になったカヴァー曲、コニー・フランシスの「ヴァケイション」を入れた。
ポリドール・レコードの邦楽制作の担当者として、「おけいさん」は1960年代に園まり、菅原洋一、加藤登紀子、ロス・インディオスなどをブレイクさせている。
その後、結婚して子どもが生まれたのを機に独立してからは、音楽プロデューサーの松村慶子として1970年代に浅川マキ、りりィ、桑名正博、1980年代にはTMネットワークを見出した人物である。
青山ミチを発見したのはジャズ喫茶で開かれたオーディションで、各レコード会社のディレクターが審査員だった。
そのとき弘田三枝子の「子供ぢゃないの」を歌った少女に、「おけいさん」は他社よりもはるかに高得点をつけた。
1960年に森山加代子の「月影のナポリ」と坂本九の「悲しき60才」が大ヒットして以来、10代のハイティーン歌手が歌うカヴァー曲がブームになっていた。
それに拍車をかけたのが1961年11月、ヘレン・シャピロのカヴァー曲「子供ぢゃないの」でデビューした14歳の弘田三枝子である。
小学生の頃から米軍キャンプでジャズやポップスを歌って鍛えた歌唱力、特長のあるダイナミックなヴォーカルは突出していた。
「おけいさん」は弘田三枝子を、仮想のライバルと意識した。
しかし青山ミチの持っている天性のリズム感とパンチのある歌声にもかかわらず、1962年10月に発売になったレコードの売れ行きはさえなかった。
時を同じくして弘田三枝子は「ヴァケーション」を大ヒットさせて、第13回紅白歌合戦に初出場して人気スターの座をものにした。
ここで早くも明暗が出たのである。
夜の勤めであまりかまってもらえなかったせいか、青山ミチは気ままで駄々っ子のようなところがあったという。
ちょっと注意されただけでレコーディング中でもスタジオを飛び出し、自宅に逃げ帰って布団にもぐり込んで出てこないこともあった。
自分でスカウトしただけに「おけいさん」は途中で投げ出すわけにいかず、手を変え品を変えて彼女にふさわしい作品を選んだ。
それからの4年間で青山ミチは25枚ものシングル盤を発売している。
なかなかこれといったヒット曲が生まれないままだったが、1965年の夏になってようやく「涙の太陽」が少しだけヒットした。
そしてポリドール時代の最後となった作品は、「風吹く丘で」というフォーク調のポップスだった。
しかし青山ミチはその年の終わりになって、ポリドールからクラウンレコードに移籍してしまう。
そのために「風吹く丘で」は日の目を見ないままとなった。
それから1年半後、ヴィレッジ・シンガーズによって「風吹く丘で」は「亜麻色の髪の乙女」というタイトルで大ヒットを記録するのである。
さらには21世紀に入ってから島谷ひとみのカヴァーもヒットし、今では日本のスタンダード・ソングになっている。
日本語の「涙の太陽」も1973年に新人の安西マリアが歌って大ヒット、レコード大賞の新人賞に輝いて彼女をスターにした。
また6枚目のシングル「ミッチー音頭」は1989年に遠藤賢司によって、「エンケンのミッチー音頭」となって復活している。
優れたスタッフに才能を見出されて、いくつもの秀でた作品に出合っていたにもかかわらず、そこに命を吹き込むことができなかった青山ミチは、最後まで未完の大器だった。
合掌。

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