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早く前を歩いていたのに遅咲きになり、そこから成功したシンディ・ローパー

2023.06.21

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シンディ・ローパーは1953年6月22日、ニューヨークのブルックリンに生まれた都会っ子だった。
だが5歳の時に両親が離婚したことで、母親や姉、弟たちと郊外のクィーンズに移り住んだ。

そこからは環境の変化になじめなくなり、いつもどこか場違いな感じでちょっと調子が外れて、まわりから浮いていたので変な視線を浴びてきた。
そうした子供時代から思春期を経て、家を出て自立したのは17歳の時である。

わたしは17で家を出た。持っていったのは歯ブラシ、替えの下着、リンゴ、そして『グレープフルーツ』というオノ・ヨーコの本だけ。『グレープフルーツ』はわたしにとって、芸術を通じて人生を見るための窓になっていた。(注1)


カナダに住んだりしたしたことも合ったが、やがてニューヨークに戻って音楽の道を選び、下積み期間を過ごすことになる。
バンドのバックグラウンド・シンガーになって働きながら、小さなクラブやディスコで歌い続ける日々が続いた。

しかしあまりにも喉を酷使したことから1977年には声帯に損傷を受けて、声が出なくなるという危機に見舞われてしまう。
と、ここまでは世界中で無数にある、プロを目指すシンガーの物語の一つに過ぎない。

そこでシンディは歌声を取り戻すために音楽の仕事を1年間ほど休み、クラシック音楽のヴォイス・トレーナーの指導のもと、再び歌えるようにとヴォーカル・トレーニングに徹した。

幸いなことに声を取り戻すことが出来た1977年にジョン・トゥーリと出会って意気投合し、ブルーエンジェル(Blue Angel)というバンドを結成する。
ここから流れが向き始めたのか、まもなくマネージメントとの契約も結んだ。

バンドでのデビューがようやく決まった時、シンディはすでに26歳になっていた。

アルバム『ブルーエンジェル(Blue Angel)』が完成したのは1980年で、シンディが聴いて育ったロカビリーをニューウェーブにとらえ直して、新しい時代のバンド・サウンドで蘇らせようとしたものだった。

シンディの伸びやかなヴォーカルはパワフルで生き生きとしていたし、後にセルフ・カヴァーすることになる「I’m Gonna Be Strong」や「Maybe He’ll Know」など、どれも十分に高いクォリティを持っていた。

ところが先行シングルの「I’m Gonna Be Strong」が不発に終わってしまったことから、先々の歯車が大きく狂い始める。


レコード会社のポリドールはシングルの結果を見て、ロカビリーは”古い”から流行らないと判断し、早々と手を引いてしまった。
はっきりと自分の考えを主張して簡単には言うことをきかないシンディを、ポリドールはいささか持て余し気味だったのだ。

シンディは何よりも自分なりのロックをやりたかったし、ニューウェーブのロカビリーで成功したいと思っていた。

ブライアン・セッツァーが率いるロカビリーのバンの、ストレイ・キャッツも、ニューヨークで同じ時期に活動していたが、やはり“古臭い”とまったく認められなかった。
そこで活路を見出すべくイギリスに渡ると、1980年の後半からブレイクしてネオ・ロカビリーのブームを巻き起こし、アメリカに凱旋して世界的な成功をものにしていく。

ブルーエンジェルもあと1年の我慢が出来れば、流行の波に乗れたのかもしれない。

ところがいったん狂い始めた流れはもどらすことができず、ポリドールとの契約を解消する際にマネージャーとも揉めたことで、訴えを起こされた。

生き馬の目を抜くショー・ビジネスの世界で歯車が狂うと、こんなことも起こるという典型的な悲劇でバンドは解散を余儀なくされた。
そしてシンディは破産宣告することと引き換えにマネージャーとの関係を絶ち切り、やっと自由の身になれたのだった。

ところがこれ以上はないほど現実の厳しさに晒されても、27歳のシンディは夢をあきらめることなく生きていた。

生活のためにブティックや日本人向けのピアノ・バーなどで働きながら、苦境の中で必要なもの、すなわち人と人との縁と信頼をつかんでいく。

後に夫となるマネージャーのデヴィッド・ウルフと知り合い、30歳を迎えようという1983年の春から再び歯車が上手く回り出した。

その年の秋にアルバム『She’s So Unusual』でソロ・デビューすると、シングル・カットされた「ニューヨークはダンステリア(Girls Just Want to Have Fun)」が、全米2位のヒットを記録する。


続くセカンド・シングルの「タイム・アフター・タイム(Time After Time)」は全米1位に輝き、シンディは一気にスターダムを駆け上がっていく。

「タイム・アフター・タイム」には遅咲きだったそれまでの自分の歩みを振り返り、新しいパートナーとの信頼を確かめ合うかのような歌詞が出てくる。

ときどきあなたは私を思い描く
私はずっと前のほうを歩いている
あなたが私を呼んでいる
私にはあなたが言ったことが聞こえない
それからあなたは「ゆっくり」と言う
私は歩みを緩める
秒針が巻きもどる…



(注1)シンディ・ローパー&ジャンシー・ダン著 翻訳 沼崎敦子「トゥルー・カラーズ シンディ・ローパー自伝」(白夜書房)

*本コラムは2015年1月17日に公開されたものに加筆しました。

*こちらもお読みください。
・シンディ・ローパー~苦境の中で必要なもの








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