シン・リジィとフィル・ライノットのアイルランド
いわゆるブリティッシュ・ハード・ロックの代表格とされながらも、アイルランド・スピリットを内に秘めた印象的な楽曲の数々で、1970年代にひときわ強い個性を放ったバンド──シン・リジィ。
その中心人物フィル・ライノットは、1949年にアイルランド人の母とブラジル人の父の間に生まれた。フィルは幼少期から思春期まで、自らの褐色の肌に対する差別意識と向き合いながら、次第にアイルランド人としてのアイデンティティを確立したという。ロックが若い世代に対して重要な意味を持ち始めた1960年代。彼もそんな時代の空気を吸い込んでいたに違いない。
1970年にシン・リジィはデビューするが、初ヒットは1973年にUKチャートの6位まで上昇した「Whiskey In The Jar」。フィルはダブリン周辺のフォーク・ミュージシャンたちと交友していたというから、この有名なアイルランド民謡をロック調にアレンジしたのは当然の成り行きだったのだろう。
フィルのソングライティングには、「褐色の肌を持ったアイルランド人」としてのアイデンティティを求め続けた日々が反映されている。そこにロックという表現手段が溶け込むことによって、シン・リジィ独特の世界が生まれる。それがどんなにハードな音であっても、どこかに必ず一筋の“哀切感”や“流浪感”が潜んでいる。
これがアイルランド系の若者たちの琴線に触れないわけがない。例えば、1976年の彼ら最大のヒット曲「The Boys Are Back In Town」はその好例だ。
フィルを語る時、同じアイルランド人のギタリスト、ゲイリー・ムーア(注釈)の名を忘れるわけにはいかない。1978年に発表された共作「Parisienne Walkways」(パリの散歩道)は、詩人フィルが持つ“哀切な流浪感”とゲイリーのギターが奏でる“孤高の響き”が出逢い、聴く者の心を深く打つ。
また、そのゲイリーがシン・リジィに参加して録音された同年の『Black Rose:A Rock Legend』には、「ダニー・ボーイ/ロンドンデリーの歌」などアイルランド民謡4曲がアレンジされたアルバムタイトル曲が収録されていて、二人の“原点回帰”がクライマックスに謳い上げられる。
一方で、ドラッグやアルコールや女性関係などフィルの私生活は荒れ続け、1986年1月4日に36歳の若さで死去。しかし、アイルランドの若手ミュージシャンの発掘やバックアップなどを継続して行っていた功績と数多くのリスペクトを受け、2005年には首都ダブリンに銅像が建てられた。
褐色の肌を持ったアイルランド人ロッカーは、今や“アイルランドの英雄”なのだ。
『Jailbreak』(1976)
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(注釈)ゲイリー・ムーア
北アイルランドの首都ベルファスト出身のギタリスト。1969年にスキッド・ロウのメンバーとしてメジャーデビュー。この時のヴォーカルがフィル・ライノットだった。1974年には一時的にシン・リジィに加入。1980年代はハード・ロック、1990年代はブルースに傾倒。世界的な評価と人気を得た。2011年心臓発作で急逝。享年58。
*このコラムは2014年1月4日に公開されたものを更新しました。
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