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ゲイリー・ムーア〜“泣きのギター”でBLUESを響かせた孤高のギタリスト

2024.02.05

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故郷の魂を忘れなかった孤高のアイルランド人ギタリスト


ギタリストなら、特に80年代にヨーロッパで生き残ろうと思ったら、ハードロックをプレイするしかなかった。でも僕はそれを快適だと感じたことは一度もなかったよ。それはあの種の音楽が自分の原点ではなかったからだと思う。何もかも巨大でラウドなものの中で、他のミュージシャンにも親近感を抱けなかった。


「ゲイリー・ムーア」という名を聞いて、彼の音楽を耳にしたことのある人は何を思い浮かべるだろう? 様々なバンドを渡り歩いた「さすらいのギタリスト」。シン・リジィでフィル・ライノットとプレイしていた「スーパー・ギタリスト」。1980年代のヘヴィメタル・ブームの中でマシンガンのように速弾きした「ギター・クレイジー」と言う人もいる。

あるいは、故郷の魂を忘れなかった「孤高のアイルランド人ギタリスト」。90年代から死の直前まで自らのルーツに対して真摯な姿勢を貫いた「ブルーズ・ギタリスト」。極めてヨーロッパ的なバラードで心の風景を響かせた「泣きのギタリスト」として伝える人もいるだろう。

──そのどれもが間違いではない。すべてがゲイリー・ムーアなのだ。

人気絶頂の80年代に5回もの来日公演を行ったこともあり、日本ではどうしても「ハードロック・ギタリスト」のイメージが強かった人だが、90年代に突入すると、そんなゲイリーに運命の転機が訪れる。ブルーズへの回帰だ。

一人でいる時はいつもブルーズを弾いていた。ある晩、ボブ・デイズリーがやって来て言うんだ。「なあ、ゲイリー。次はブルーズ・アルバムを作るべきだよ。お前のキャリアで一番の成功を収める作品になるかもしれないぜ」。思わず笑い飛ばしたよ。彼も笑ってた。でも僕はその通りにやってみたんだ。彼は正しかったね。本当にそうなったんだから。


1969年。わずか17歳でスキッド・ロウのギタリストとしてプロデビューしたゲイリーは、ブルーズを愛する少年だった。北アイラルンドのベルファストで育った彼が聴き入っていたのはブリティッシュ・ブルース。特にジョン・メイオールのバンドに在籍したエリック・クラプトンやピーター・グリーンに夢中になった。

しかし、スキッド・ロウ、ゲイリー・ムーア・バンド、コロシアムⅡ、シン・リジィ、G-フォースといったバンドを渡り歩いた70年代や80年代の華やかなソロ活動では、愛する音楽から離れていく一方だった。

速弾きばかりじゃ、すぐに行き詰まる。できるだけ感情を込めてプレイすることが肝心だ。楽曲の呼吸を感じて、自然に任せてプレイできるようにならないと。ただ知ってるだけのフレーズをつなげるようなプレイでは駄目なんだ。より少ない音で強い説得力を身につけることを学ぶべきだよ。


1990年、初のブルーズ・アルバム『STILL GOT THE BLUES』をリリース。アルバート・キングやアルバート・コリンズをゲストに迎えたこの作品は世界で300万枚以上を売り上げて、予言通りにゲイリーのキャリア史上で最も成功したものとなった。

自分の中で何かを発見することができた。その何かとは、僕にとって適切なものだということが判った……セッションが終わってスタジオを出る時、アルバートは僕に言った。「これだけは言っとくぜ。リックは一つ飛ばしてプレイしろよ」って。この言葉は人生の中で一番有益だったよ。要するにちゃんと音を選んでプレイしろってことだ。


続編的な『AFTER HOURS』(1992)、ライヴ作『BLUES ALIVE』(1992)、ピーター・グリーンへ捧げた『BLUES FOR GREENY』(1995)、再びブルーズへ回帰した『BACK TO THE BLUES』(2001)など(*1)、ゲイリーのプレイは年齢を重ねながら円熟味を増していく。ブルーズへのあくなき追求は遺作となった『BAD FOR YOU BABY』(2008)まで続けられた。それはストラト・サウンドのアメリカン・ブルーズではなく、レスポール・サウンドによるゲイリー流のブリティッシュ・ブルーズ完成へのドキュメントそのものだ。

僕の中にはもうロック・ギタリストという感覚はまったくない。昔自分がプレイしてた曲を聴くと、「本当にこれは俺が弾いてたのか」って思うくらいだよ。ロックは嫌いじゃないけど、ずっと続けていくには威厳に欠ける気がしてた。ブルーズは僕の原点であり初恋みたいなものだから。僕の根っこはブルーズ。ずっと愛し、育ててもらった音楽なんだ。


ゲイリーはブルーズを極めていくと同時に、スローな曲やバラードを書くことも得意だった。「ヨーロッパやアイルランド的な旋律や歌詞で叙情性を強調しようと努めた」というメランコリックでロマンチックな響きは、彼にしか表現できない唯一無二の世界観があり、ブルーズと並んでこの“泣きのギター”こそがゲイリーの真髄と言うファンは多い。

それらは、「Parisienne Walkways(パリの散歩道)」(1978)、「Spanish Guitar」(1979)、「The Loner」(1987)、「Song For Al」(1988)、「The Messiah Will Come Again」(1989)、「Still Got the Blues (For You)」(1990)、「Nothing’s the Same」(1992)、「Picture of the Moon」「The Prophet」(2001)といった曲(*2)で聴くことができる。この“悲しくも美しい世界”に何も感じない人はいないだろう。ゲイリーの心にはどんな風景があったのか?

ブルーズを演ると言っても、僕はアイルランド人で黒人ではないし、アメリカのミシシッピ・デルタで育ったわけでもない。彼らのようにプレイしたいとも思わない。ただ、アイルランドにはイギリスとの宗教や領土の問題や歴史があって、それなりのブルーズが生まれるような環境だと思う。僕はその中で育った。


GARY MOORE 1952.4.4-2011.2.6

(*2)“泣きのギター”こそがゲイリー・ムーア
「Still Got the Blues (For You)」


「The Prophet」

「Picture of the Moon」

(*1)ゲイリーがリリースしたブルーズ・アルバム
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*参考・引用/『ヤング・ギター・インタビューズ:ゲイリー・ムーア』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、「ロック・ギター・トリビュート:Memories of Gary Moore」(伊藤政則著/シンコーミュージック・エンタテイメント)
*このコラムは2017年2月6日に公開されたものを更新しました。

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■中野充浩のプロフィール
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