「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

何も言わずに待ってくれた大瀧詠一に「君は天然色」を書いて応えた松本隆

松本隆は1985年の11月から12月にかけて、朝日新聞の夕刊で週1回『新友旧交』というコラムを8週にわたって書いていた。 そのときに「待ってくれた大滝」と題して…

Extra便

小学生の頃から憧れていた小林旭のために、大瀧詠一が渾身の力を振り絞って作曲した「熱き心に」

大瀧詠一は長い間、自分がミュージシャンになったのは、「エルヴィス・プレスリーに憧れて、ロック・ミュージックに興味を持ったから」だと思い込んでいたという。 だが、…

TAP the SONG

鈴木茂のギターで記念碑的な名曲となった、はっぴいえんど「12月の雨の日」

「12月の雨の日」は、作詞・松本隆、作曲・大瀧詠一。その後の日本の音楽シーンに一時代を築いていく二人の表現者が、まだ20歳を過ぎたばかりの若かりし頃、出会い頭に…

Extra便

鈴木茂①エレキギターとの出会いはベンチャーズ、先生はレコードだった

鈴木茂は、17歳の時に細野晴臣からの電話で、新しいバンドを始めるのにリード・ギタリストが欲しいと言われた。 それが、日本の音楽史に残る伝説のバンド「はっぴいえん…

TAP the SONG

伝説のグループと呼ばれたジャックスが歌と音楽に託した「悲しみ」

日本のロックの原点を築いたジャックスの早川義夫は、こんな言葉を残している。 歌は悲しいから歌うのだと思っている。寂しいから歌うのだ。人とは、違うから歌うのだ。何…

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ジャックスから岡林信康に受け継がれていった「ラブ・ジェネレーション」とロック・スピリッツ

関西フォークの発信元となったインディーズのURCレコードで、ジャックス解散後に契約ディレクターとして働き始めた早川義夫は、1969年の晩秋にソロ・アルバム「かっ…

TAP the SONG

アメリカのシンガー・ソングライターが日本語で、はっぴいえんどの「風をあつめて」を歌う時代

プリシラ・アーンは2012年に、はっぴいえんどの「風をあつめて」やスーパー・バター・ドッグの「サヨナラCOLOR」などの日本語曲も収録したアルバム、『ナチュラル…

Extra便

大滝詠一が大胆な日本語ロックへのアプローチに挑んだはっぴいえんどの「颱風」とその後

日本の夏といえば良くも悪くも、台風とは切っても切れないつながりがある。そうした自然現象を題材にして日本語によるロックへのアプローチに挑んだのが、はっぴいえんど時…

TAP the SONG

はっぴいえんどの「夏なんです」は日本語の歌詞にこだわった松本隆による“ラブソング”

立教の学生だった細野晴臣の家に、慶應に通う松本隆が来て、ロックに日本語は乗るのだろうかと、アルバム『ジャックスの世界』などを参考にしながら、勉強会に取り組んでい…

TAP the SONG

「群青色の朝」と「鈍色の雨」という言葉で始まった日本語のロック~はちみつぱい「塀の上で」

2000年夏、「5人で歌う、5人の“ビューティフル・ソングス”」というキャッチコピーがついたコンサート、「Beautiful Songs(ビューティフル・ソング…

TAP the DAY

追悼・遠藤賢司~確固たる意志を持って”純音楽”をめざした孤高の一匹オオカミ

1969年10月28日、お茶の水にあった全電通会館ホールで日大闘争救援会が主催するコンサート『ロックはバリケードをめざす』が開催された。出演したのは遠藤賢司、早…

Extra便

音楽史のターニングポイント「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」の論争

今からもう50年ほど昔のことになるが、ある座談会をきっかけにして、”日本語のロック”について真剣な論争が起こった。 「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべき…

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