「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

松本隆と大瀧詠一の才能が出会いがしらに衝突して生まれた「春よ来い」~〈吐きすて〉の歌の系譜①

1973年9月21日、東京・文京公会堂で開かれたはっぴいえんどの解散コンサートが終わって、ライブ音源をレコードにするためにミックスしていたスタジオで、アンコール…

TAP the DAY

GSの「ザ・フローラル」に参加した後に「エイプリル・フール」解散を経て「はっぴいえんど」へ至る道

1968年2月に結成されたGSの「ザ・フローラル」は、日本のモンキーズ・ファンクラブが公募したバンドだった。彼らが所属するミュージカラー・レコードという会社から…

TAP the DAY

大瀧詠一は設計士で僕は左官屋、細野晴臣が『ナイアガラ・ムーン』を聞きながら自作を語った日

大瀧詠一がエレックレコードとの契約で、プライベートレーベル「ナイアガラ」を設立したのは1974年9月だ。自分のレーベルを持って作詞・作曲・編曲・プロデュース・エ…

Extra便

大瀧詠一が初めて細野晴臣の部屋に入った瞬間、思わず発した言葉とは?

細野晴臣と大瀧詠一がはじめて出会うのは1967年の春先のことだが、きっかけはもう一人の友人との出会いだった。 その前年の秋、立教大学のキャンパスにある待ち合わせ…

TAP the LIVE

1枚のライヴ・アルバムで世界に発見されたリトル・フィート

リトル・フィートの代表作にして、ライヴ・アルバムの金字塔、『ウェイティング・フォー・コロンブス』。そのジャケットにはハンモックでくつろいでいるトマトの顔をした女…

TAP the LIVE

ローウェル・ジョージ在籍時のリトル・フィートによる最初で最後の来日公演

リトル・フィートが1978年2月10日にリリースした2枚組のライヴ・アルバム『ウェイティング・フォー・コロンブス』は、彼らに初のゴールド・ディスクをもたらすヒッ…

Extra便

世をすねた獣みたいに片隅にうずくまり、丸く肩をすくめて、うらめしそうにしていた泉谷しげる

若者たちの間でフォークソングやロック・バンドに関心が高まっていた1971年の秋、泉谷しげるのデビュー・アルバム『泉谷しげる登場』が11月20日に発売になった。 …

TAP the SONG

エイプリル・フールから独立した小坂忠の「しらけちまうぜ」は日本語ソウル・ミュージックの原点

小坂忠が1968年に「ザ・フローラル」というバンドのヴォーカルとしてデビューした頃、日本にはまだ確たるロックシーンは存在していなかった。 加熱するGSブームの渦…

Extra便

ベルウッド・レコード①1972年4月25日、ベルウッドの名前を冠した記念すべき最初のレコードが発売

小室等(六文銭)、高田渡、はっぴいえんど、細野晴臣、大瀧詠一、はちみつぱい、あがた森魚、南正人など、日本のフォークやロックの歴史における重要な礎を築いた名作の数…

TAP the SONG

追悼・大森昭男~大瀧詠一が自分のポップスで最初の完成品と言った「サイダー’74」が陽の目をみるまでの1年間

大瀧詠一が自ら、「大瀧ポップスの最初の完成品です」と自信を持って宣言する作品が誕生したのは、オン・アソシエイツのプロデューサー、大森昭男と知り合ってからちょうど…

Extra便

追悼・大森昭男~はっぴいえんどの大瀧詠一を発見したことから始まったCM音楽の新時代

CM音楽のプロデューサーとして、1970年代の音楽シーンに新風を吹き込んだ大森昭男は、日本におけるコマーシャルソングの祖といわれる三木鶏郎の門下生で、1960年…

Extra便

追悼・大森昭男~次々と作品がボツになっても、なぜ大瀧詠一はCMに起用され続けたのか?

大瀧詠一は、1972年の11月に初のソロ・アルバム「大瀧詠一」を出したものの、73年と74年は自分のアルバムを1枚も出さず、いわば雌伏の期間を過ごしながらナイア…

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