「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

Extra便

大滝詠一が大胆な日本語ロックへのアプローチに挑んだはっぴいえんどの「颱風」とその後

日本の夏といえば良くも悪くも、台風とは切っても切れないつながりがある。そうした自然現象を題材にして日本語によるロックへのアプローチに挑んだのが、はっぴいえんど時…

TAP the DAY

追悼・遠藤賢司~確固たる意志を持って”純音楽”をめざした孤高の一匹オオカミ

1969年10月28日、お茶の水にあった全電通会館ホールで日大闘争救援会が主催するコンサート『ロックはバリケードをめざす』が開催された。出演したのは遠藤賢司、早…

TAP the SONG


「ガラスのジェネレーション さよならレボリューション」〜新しい時代の新しい音楽が聴こえてきた瞬間

レコードを聴くときの喜びは、まずジャケットのビジュアルから始まる。そっとレコード盤を取り出して、歌詞カードを目にしながらターンテーブルに載せる。最初の1行の歌詞…

Extra便

音楽史のターニングポイント「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」の論争

今からもう50年ほど昔のことになるが、ある座談会をきっかけにして、”日本語のロック”について真剣な論争が起こった。 「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべき…

Extra便

くるりの「Liberty & Gravity」に受け継がれた”変な歌”、春日八郎の「お富さん」

日本の3大ビート・ソングといえば、発表順に笠置シヅ子の「東京ブギウギ」、春日八郎の「お富さん」、それに坂本九の「上を向いて歩こう」の3曲だろう。 「東京ブギウギ…

TAP the SONG

松本隆と大瀧詠一の才能が出会いがしらに衝突して生まれた「春よ来い」~〈吐きすて〉の歌の系譜①

1973年9月21日、東京・文京公会堂で開かれたはっぴいえんどの解散コンサートが終わって、ライブ音源をレコードにするためにミックスしていたスタジオで、アンコール…

ミュージックソムリエ

20歳の松本隆が書いた青春の風景~はっぴいえんど「春よ来い」

はっぴいえんどが結成されたのは1969年。 彼らのファースト・アルバム『はっぴいえんど』のレコーディングは、1970年の年明け頃から4月にかけて行われた。この時…

TAP the SONG

細野晴臣プロデュースの「ホルモン小唄」、大瀧詠一が仮歌を吹き込んだのにオクラ入りした理由

1976年の11月から12月にかけて、東京・赤坂にあるクラウン・スタジオでは小林旭のアルバムが制作中だった。同じレコード会社に所属していた縁もあって、細野晴臣が…

TAP the DAY

大瀧詠一は設計士で僕は左官屋、細野晴臣が『ナイアガラ・ムーン』を聞きながら自作を語った日

大瀧詠一がエレックレコードとの契約で、プライベートレーベル「ナイアガラ」を設立したのは1974年9月だ。自分のレーベルを持って作詞・作曲・編曲・プロデュース・エ…

Extra便

大瀧詠一が初めて細野晴臣の部屋に入った瞬間、思わず発した言葉とは?

細野晴臣と大瀧詠一がはじめて出会うのは1967年の春先のことだが、きっかけはもう一人の友人との出会いだった。 その前年の秋、立教大学のキャンパスにある待ち合わせ…

Extra便

追悼・相倉久人 大瀧詠一とのナイアガラ対談で発表された「分母分子論」

1983年の11月から12月にかけて雑誌『FMファン』での対談で、大瀧詠一の「分母分子論」は発表された。 それはジャズ評論家の相倉久人を先生として、生徒の大瀧が…

TAP the LIVE

大瀧詠一が“命がけ”で挑んだ一度限りのはっぴいえんど再結成

1985年の6月15日、旧国立競技場で開催された『国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW』。 日もすっかり暮れた頃、西日の差し込むステージに登場したの…

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