「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

Extra便

追悼・大森昭男~はっぴいえんどの大瀧詠一を発見したことから始まったCM音楽の新時代

CM音楽のプロデューサーとして1970年代の音楽シーンに新風を吹き込んだ大森昭男は、日本におけるコマーシャルソングの祖といわれる三木鶏郎の門下生で、1960年に…

Extra便

音楽史のターニングポイント「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」の論争

今からもう50年ほど昔のことになるが、ある座談会をきっかけにして、”日本語のロック”について真剣な論争が起こった。 「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべき…

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高田 漣──多岐にわたる音楽的趣味をカラフルかつフレッシュに爆発させた傑作アルバム

エレキギターやアコギはもちろん、ウクレレ、バンジョー、ペダルスティール、マンドリン……などなど、さまざまな弦楽器を弾きこなす、マルチ弦楽器奏者の高田漣。 フォー…

ミュージックソムリエ

20歳の松本隆が書いた青春の風景~はっぴいえんど「春よ来い」

はっぴいえんどが結成されたのは1969年、今年で結成から50年が経つということになる。 彼らのファースト・アルバム『はっぴいえんど』のレコーディングは、1970…

TAP the SONG

日本で最初にヒットしたロックンロール・ナンバー「ダイナマイトが百五十屯」の破壊力

日本で最初にヒットしたロックンロール・ナンバーと言われているのが、1958年11月に発売されたシングル盤の「ダイナマイトが百五十屯」である。 歌ったのは当時23…

TAP the SONG

小林旭の「ダイナマイトが百五十屯」~詞・曲・歌唱が奇跡的に融合され爆発している”土着ロック”の最高傑作

1958年に「ダイナマイトが百五十屯」が発表されたとき、それが日本語のロック第1号楽曲として21世紀にまで受け継がれることなど、当事者の誰もが想像だにしなかった…

Extra便

大滝詠一が大胆な日本語ロックへのアプローチに挑んだはっぴいえんどの「颱風」とその後

日本の夏といえば良くも悪くも、台風とは切っても切れないつながりがある。 そうした自然現象を題材にして日本語によるロックへのアプローチに挑んだのが、はっぴいえんど…

TAP the ERA 1989-2019

【平成企画序文】バブル経済やネット文化を吸収した日本の音楽30年史

平成(1989-2019)を駆け抜けた風景 2019年4月30日、31年続いた一つの時代が終わる。いや正確には、元号が新しくなるだけで劇的な変化は何も起こらない…

Extra便

追悼・大森昭男~次々と作品がボツになっても、なぜ大瀧詠一はCMに起用され続けたのか?

大瀧詠一は1972年の11月に初のソロ・アルバム「大瀧詠一」を出したものの、73年と74年は自分のアルバムを1枚も出さず、いわば雌伏の期間を過ごしながらナイアガ…

Extra便

小学生の頃から憧れていた小林旭のために、大瀧詠一が渾身の力を振り絞って作曲した「熱き心に」

大瀧詠一は長い間、自分がミュージシャンになったのはエルヴィス・プレスリーに憧れて、ロック・ミュージックに興味を持ったことだと思い込んでいたという。 だが実際には…

TAP the NEXT

【インタビュー】堂島孝平──華々しい20周年を締めくくる、ナチュラルに『愛を歌う』アルバム

18歳でデビューし、昨年活動20周年という節目を迎えた堂島孝平。コンスタントに作品を発表しながら、精力的にライブ活動を展開し続ける一方、自身の活動と並行してKi…

TAP the SONG

エノケンから高田渡や大瀧詠一、高田漣にまで受け継がれている「私の青空」

「My Blue Heaven(私の青空)」はアメリカでも有名なスタンダードで、グレン・ミラー楽団、コールマン・ホーキンス、ファッツ・ドミノ、ビング・クロスビー…

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