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追悼・藤圭子~沢木耕太郎のノンフィクション「流星ひとつ」に活写された正直で飾らない女性の生き方

2019.08.22

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藤圭子が亡くなったのは2013年8月22日の昼前で、その頃に住んでいた新宿のマンションで高層階から身を投げた自死であった。
まもなくニュース速報がながれて、その衝撃は日本中の知るところとなった。

スターになった20歳の頃に、ジャズ喫茶によく一人で顔を出していた彼女を知っていた元祖ロカビリー歌手で、プロデューサーでもあるミッキー・カーチスはその日の夜に、こんなつぶやきを載せていた。



ロックが大好きだった藤圭子は1969年9月、「演歌の星」というキャッチフレーズのもとに、「新宿の女」でデビューした。
そして翌年の2月に発売された2枚目のシングル「女のブルース」がヒットし、4月までオリコンのシングルチャートで1位を独走した。

ちょうどそのタイミングで発売になったファースト・アルバム『新宿の女』もヒットしてベストセラーになり、その中に入っていた「圭子の夢は夜ひらく」には有線放送でのリクエストが殺到した。
そこで急遽、3枚目のシングとして4月25日にシングルカットされると、2曲でヒットチャートの1、2位を独占したのである。

黒髪の美しい10代の少女が存在感をかけて唄った自伝的な歌は、日本中に藤圭子旋風を巻き起こしていく。



そこからファースト・アルバムとセカンド・アルバムが続けて37週もオリコン1位となったのだから、彼女の与えたインパクトが、当時はいかに大きなものだったのかがわかるだろう。

藤圭子は歌詞の世界を歌の技術で演じるような演歌歌手ではなかった。
自分のなかにある「情」を歌うことによって、歌詞に描かれる「叙情」や「人情」を聴き手に喚起させるシンガーだった。

シンガー・ソングライターの宇多田ヒカルは藤圭子の長女だが、親子だけあって音楽人生においては驚くほど符号する点が多い。
10代でデビューして次々にヒットを飛ばし、爆発的にアルバムが売れて日本中をセンセーションに巻き込んだのも同じなら、19歳で結婚して4年間で結婚生活に終止符を打ったのも同じだった。

そして自分の意志で歌手としての活動を休止したのも、同じく28歳のときであった。



作家の沢木耕太郎が執筆した『流星ひとつ』(新潮社)は、藤圭子が28歳で芸能界を引退する間際に、数回にわたって行われたロングインタビューをもとに構成されたノンフィクションである。

しかし当時は原稿が完成したものの、沢木が藤圭子の将来を慮って公表することを取りやめていた。
藤圭子は完成した作品を読んで出版に同意していたが、沢木の手で封印されて「幻の作品」となったのだ。

藤圭子も芸能界に戻って、歌うようにならないとも限らない。そのとき、この「インタヴュー」が枷にならないだろうか。自分で自分にブレーキをかけてしまうことになるかもしれないし、実際に「復帰」したらしたで、マスコミに「あれほどまでに決意を語っていたのに」と非難されたり嗤われたりするということがあるかもしれない。


しかし藤圭子の自死を契機として沢木の手で封印が解かれて、30年以上ぶりにようやく陽の目を見るということになった。

すべてが会話だけで成り立っているノンフィクションは、人間・藤圭子の言葉を伝えるだけでなく、行間に二人の思いが漂って広がってくる。

ことの起こりは30数年前、当時、人気の頂点を極めた歌手の藤圭子が28歳の若さで突如引退を表明し、アメリカに行くと語ったことだった。
沢木はその真相を聞き出すため、ホテルニューオータニのバーで、彼女に何度かインタビューを試みたのだ。
まもなく原稿は書き上げられたが、インタビューをそのまま会話として描いた表現は、文学としては挑戦的なものとなった。

質問とそれに答える藤圭子の会話だけが続き、地の文による背景の説明や情景の描写はまったくない。
しかし、それでいて500枚にも及ぶ緊張感に満ちた原稿が、質の高いノンフィクション作品として成立していた。
さりげない会話を装っているが、その実、巧みな構成で藤圭子という人間の本質が伝わるようになっている。

彼女は自らの生い立ちから、両親と流しの浪曲師を続けた子供時代、それに芸能界のこと、最初の夫である前川清のこと、恋人たちのことを自然体で話していく。

そこで描かれている藤圭子という人間は聡明であり、うそをつくのが嫌で正義感が強く、だが少女のように純真であった。






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