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パーシー・スレッジ追悼〜希代の名曲「男が女を愛する時」の誕生秘話〜

2017.04.14

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ビートルズが初来日し、武道館で行われた歴史的なコンサートに日本中の若者達が熱狂した1966年。
そのコンサートよりも数ヶ月前に、海の向こうのアメリカやカナダの音楽ファンを夢中にさせた名曲があった。
つい先日、この世を去ったアメリカの黒人歌手パーシー・スレッジ(享年74)の大ヒット曲「When a Man Loves a Woman(男が女を愛する時)」の誕生秘話をご紹介します。


「When a Man Loves a Woman」/パーシー・スレッジ


男が女を愛する時  
他のことには見向きもしなくなる
彼はその愛のためなら世界だって変えてしまう

たとえ悪い女でも、彼の目にはそう映らない
もし彼女を悪くいう奴がいたら
彼は自分の親友にさえ背を向ける


1966年の4月にシングルリリースされたこの歌は、発売の翌週からアメリカのR&Bチャートで4週間、全米チャートでは2週間に渡ってNo.1の座をキープし、隣国カナダでも同じく首位を独占した。
発売元のアトランティック・レコードでは“初のゴールドディスク”となった伝説のヒットソングである。
約20年の歳月を経て…同曲はイギリスで1987年にジーンズブランド“Levi’s(リーバイス)”のCMソングに起用され全英チャートでNo.2を記録する。
さらには、R&Bに深く傾倒しているアメリカの歌手マイケル・ボルトンが1991年にこの曲をカヴァーし、オリジナル同様、全米チャートでNo.1に輝くなど、まさに時代を超えて愛されつづけてきた“希代の名曲”なのだ。

「When a Man Loves a Woman」/Levi’s 501 コマーシャル (1987)


「When a Man Loves a Woman」/マイケル・ボルトン(LIVE)

パーシー・スレッジは、1940年11月25日(長く1941年生まれとされていたが、最近になって訂正された)アラバマ州レイトンの田舎で生まれた。
幼い頃からラジオでカントリーミュージックを聴きながら育ち、21歳になるまでプロの黒人歌手がいることを知らなかったという。
高校時代には野球の才能を開花させ、ハイスクールチームの選手として活躍していた野球少年だった。
しかし、卒業後は野球で生活できる訳でもなく、しばらくはブルーカラー(労働者)の仕事をしていた。 
そして1965年の終り頃、彼に二つの不運が訪れる。
ある日突然、働いていた職場から解雇を言い渡され彼は職を失ってしまう。
さらに、当時交際していた女性がモデルを夢見てカリフォルニアに旅立ってしまい、彼は捨てられた恰好となった。
職も恋人も失ってしった彼は、悲しみに暮れながらも“溢れる気持ち”をノートに書きとめて、浮かんできたメロディに乗せてみたという。

男が女を愛する時  
最後の10セント硬貨を使い果たしても
必要なものを繋ぎとめようとする
もしも彼女に言われれば
彼はすべての安らぎをあきらめ
雨の中で寝ることも厭わない


曲の原型が出来たときのタイトルは「Why Did You Leave Me Baby」(ベイビー!どうして俺を捨てたんだよ!)だったらしい。
その後、アラバマ州シェフィールドの病院で雑用の仕事をするようになった彼は、患者を慰めるために歌を唄うようになった。
そして、週末は The Esquires Combo (エスクァイアーズ・コンボ)という地元のグループと共に、南部の地方の小さなクラブなどでも歌い始めたのだ。 
そんな日々を過ごす中、25歳となった彼に転機が訪れる。
当時、病院で歌っていたことがちょっとした評判となり、地元の音楽プロデューサー(クイン・アイヴィー)が彼に声をかけてきたのだ。
クインは、メンフィスで DJ の仕事をしながら、マッスル・ショールズ・スタジオ(※ザ・ローリング・ストーンズやボブ・ディランなど一流ミュージシャンをとりこにし、数々の名盤を生み出した伝説的音楽スタジオ)の創設者であるリック・ホールに雇われてソングライターの仕事などもしていた多才な男だった。 

クインの紹介で、彼は大手レコード会社(アトランティック)のオーディションを受けるチャンスを掴み、その誠実な人柄が認められ契約を交わすこととなる。
「契約したばかりのパーシーの歌声を早速レコーディングしよう!」と、トントン拍子で話しがまとまってゆく。
そこで選曲された歌が、あの失意の時期に紡いだ「Why Did You Leave Me Baby」だったのだ。
職を失い、彼女に去られてしまったという実体験に基づいて書かれたトーチソング(失恋歌)は、新たに「When a Man Loves a Woman」というタイトルに生まれ変わり、たった数週間の間でレコーディングの準備が整えられた。
そして1966年の2月、いよいよその楽曲を録音するにあたって、リック・ホールからプロデューサーでギタリストでもあるマーリン・グリーンを紹介してもらい、マッスル・ショールズ系の優れたミュージシャンたちが集められたのだ。

【参加ミュージシャン】
スプーナー・オールダム: Organ
マーリン・グリーン : Guitar
アルバート “ジュニア” ロゥ: Bass
ロジャー・ホーキンス: Drums


percysledge
実はレコーディングされるギリギリまで、この曲の歌詞は完成しておらず、パーシーがアドリブで言葉を乗せながら歌っていたという。
手練の演奏者たちによって誕生した入魂の一曲は、完成と同時に、関係者の誰もがヒットを確信したという。
律儀で誠実なパーシーは、アマチュア時代を共に過ごしたグループ(エスクァイアーズ・コンボ)のメンバー、カルヴィン・ルイス(Bass)とアンドリュー・ライト(Keyboards)が、もともと曲作りに貢献してくれていたという理由で、楽曲の権利を二人に与えたのだ。 
本当の作詞作曲者である彼の名前がクレジットされていないのはそういった経緯からだった。

男が女を愛する時  
僕のものなら何でも君にあげるよ
大切な君の愛を繋ぎとめたいんだ
ベイビー、お願いだから意地悪しないでくれ

男が女を愛する時  
女は男の心の奥深くに惨めさを味あわせることができる
女は遊び心で男をからかっても男は最後まで気づかない
恋は盲目だから…


こうして彼は、億単位の印税収入を手に入れることなく、有名になっても南部人らしい地に足のついた生活を送っていたという。
楽曲の著作権に関して、彼は後日談でこんなことを語っている。

「本当はちょっと後悔しているよ」
「あの曲の権利を持っていたら、子供にもう少しいい暮らしをさせてあげれたと思うから…」


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彼はいつも和やかに微笑んでいたという。
その飾らない笑顔が彼の人柄、そして人生のすべてを物語っているようだ。
若き日に恋をした女性に対してだけに限らず、音楽仲間に対しても、人生の後悔の仕方までが、実に優しく誠実だった彼の冥福を心から祈るばかりだ。
素晴らしい名曲と歌声をありがとう。


「When a Man Loves a Woman」/パーシー・スレッジ(LIVE)


男が女を愛したら
悪いことなんてできやしない
他の女になんか目もくれないさ

男が女を愛する時
彼の気持ちが僕にはよくわかる
だってベイビー
君は僕のすべてなんだ



ソウル・シンガーのパーシー・スレッジ、死去(BARKS音楽ニュースより)
2005年にはロックの殿堂入りを果たし、プレゼンターのロッド・スチュワートから「“男が女を愛する時”は僕が知るベストソングの1つだ。この男が歌うとき、どんなことでも可能かって?その通りだ」と、スレッジを称賛した。

パーシー・スレッジ(74)死去……レッチリのフリーらが追悼コメント(Billbord JAPANより)
ロザンヌ・キャッシュのコメント:「パーシー・スレッジは“男が女を愛する時”の歌唱印税を1円も受け取っていません。議会にFair Play Fair Pay法を通すようかけあおう」

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