森山良子のデビュー当時を振り返りながら、長きにわたって愛されてきた歌声の魅力を改めて紹介します。
1948年1月18日、東京生まれ。サンフランシスコ出身の日系2世ジャズトランペッターの父・森山久と、元ジャズシンガーの母・浅田陽子の間に誕生。母方の叔父が、日本ジャズ界の草分け的存在として知られるティーブ釜范(かまやつひろしの父)という生粋の音楽一家のもとで育った彼女は、中学時代からウェスタンバンドを結成し、早くから“良血”ぶりを発揮していた。
学生時代、先輩の黒澤久雄(黒澤明監督の息子)から手渡されたジョーン・バエズのレコードがきっかけでフォークグループを結成して、数々のコンサートに出演するようになった。そして19歳になった1967年の1月、運命的なステージに立つ。なんと! ジョーン・バエズの東京公演の前座として出演することになったのだ。
当時、黒澤久雄の紹介もあって、森山良子の才能に目を付けていたプロデューサーが、“和製ジョーン・バエズ”として売り出そうと目論み、テレビ中継が予定されていたその来日公演に出演させるために、ジョーン・バエズの宿泊先まで直談判しにいったというエピソードが残っている。
その甲斐あって、当時では珍しかったコンサートのテレビ中継により、森山は全国的にその存在を知られるようになる。そして、ジョーン・バエズとの共演から程なくして、「この広い野原いっぱい」でレコードデビューを果たす。
実はこの曲、ある日訪れた銀座の画廊で見つけたスケッチブックに記してあった詩に、30分で曲を付けたものだった。
「この広い野原いっぱい」/ 作詞:小薗江圭子 作曲:森山良子
その後、「今日の日はさようなら」「恋はみずいろ」など次々とヒットを飛ばし、1969年には「禁じられた恋」でミリオンセラーを記録。
ジョーン・バエズといえば、1960年代から公民権運動にはじまり、反戦運動、人権運動など、社会活動に積極的にかかわってきた歌手。森山良子の歌声もジョーン・バエズと同様、透き通るような高い張りのある歌声だ。しかし、その音楽スタイルは、ジョーン・バエズとはまったく違っていた。
アメリカがベトナム戦争への介入を深めていた頃に、「フォークの女王」と呼ばれて反戦運動の旗を振っていたジョーン・バエズにイメージを重ねられながら、まだ二十歳そこそこの森山は様々な場面で「カレッジフォークの女王」と紹介されるようになる。
“女王”という言葉には、支配者・権力者のイメージが強い。静かに心を込めて、切々と語るように歌う森山のスタイルを“女王”と呼ぶのには、当時のファンたちもいささか違和感を感じていたのではなかろうか?
当時の“森山良子のイメージ”は、彼女を売り込みたい人によって作られたものだった。だが、長いキャリアの中で、その温かみのある歌声を極め、幅広いファン層に支持される唯一無二の存在となる。
デビュー以来、アコースティック・ギターを片手に静かに聴衆に語りかけるスタイルが森山良子の原点であり、それを約50年間にわたって一貫して維持してきた。反戦のメッセージが込められている代表曲「さとうきび畑」も、森山の歌声だからこそ、時代を超えて人々の心に響き続けているのだろう。
*このコラムは2016年1月に公開されました。
【森山良子 オフィシャルサイト】
http://www.ryoko-moriyama.jp


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