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「さあ、終わったぞ。僕はもうビートルじゃないんだ!」~死の恐怖に直面していたビートルズのラスト・コンサート

2016.03.22

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1966年のビートルズは全世界にまで知れわたる人気バンドであり、前人未到のアイドルとなっていた。
しかし順風満帆だったその快進撃に陰りが見え始めたのもこの年からだった。

6月29日には初めての来日を果たして、3日間にわたって公演を成功させたが、その裏で彼らは脅迫を受けていたのだ。
開催地である日本武道館は1964年に東京オリンピックが開催される際に、日本の国技といわれる柔道の競技会場として建てられた。
佐藤栄作首相や政治家、評論家、文化人などから、日本の象徴ともいえる神聖な日本武道館でロックのコンサートを開くなど認められないという声が上がり、使用をめぐって国会でも議論になった。

「Beatles Go Home」と書かれた横断幕の前で街頭演説をする者が現れて、さらには実際にビートルズ側に対して脅迫する者もいた。
もっとも、脅迫の事実はビートルズのメンバーに知らされることなく、厳重な警備のおかげもあってコンサートは無事に終わった。

しかし次の公演先であるフィリピンでは、さらなる災難が降りかかってきた。
イメルダ・マルコス大統領夫人がコンサート当日の昼、ビートルズを歓迎しようとパーティーの準備をしていたのに、いつまでたっても肝心のビートルズは現れなかった。
マネージャーのブライアン・エプスタインは事前にその誘いを断っていたというが、どういうわけか大統領夫人側にそれが伝わっていなかったのだ。

翌日になると「ビートルズが大統領夫人の好意を無下にした」というニュースが飛び交い、マルコス派の怒りを買う。

ビートルズが飛行機でフィリピンを飛び立つ日、空港で待っていたのはファンだけではなかった。その時の様子をジョージハリスンは、後になってこう振り返っている。

「彼らは復讐のために僕らを待っていた。
危なそうな奴らが30人くらいいて、銃を持っていた。明らかに僕らを災厄の日に遭わせるために用意していたんだ」


メンバーの命が狙われるという異常事態が度重なったことを受けて、ブライアン・エプスタインは8月の全米ツアーを最後に、今後のツアー計画を白紙にすることにした。

ところが、そのアメリカでもさらなる非難を浴びることとなる。
ことの発端は雑誌に載っていたジョン・レノンのインタビューだった。

そこにはジョンがかつてロンドンで受けたインタビューが転載されていたのだが、あるラジオ局の人間がその中の一節に目を留めた。

「キリスト教は駄目になっていくだろう。消え去るか、弱小化するはずさ。それに関しては、議論の余地がない。僕は正しいんだし、その正しさはいつか証明されるだろう。
今は、僕たちのほうがイエスより有名なんだ」


これをキリスト教への冒涜だとしてラジオを中心にジョンを非難する声が上がり、そこから瞬く間に抗議活動が広まったのだ。
彼らはビートルズの楽曲を放送禁止にするだけでなく、レコードなど彼らに関するものを片っ端から集めて燃やしてしまおうと呼びかけた。

しかしジョンがキリスト教を冒涜したというのは全くの誤解だった。
このときインタビュアーを務めたモーリーン・クリーヴは、ジョンを次のように擁護している。

「ジョンの言葉が私の記事から文脈を無視して引用され、あんなふうに誤って解釈されるなんて、驚きました。
彼はただ、ビートルズのほうが多くの人間に知られているということを客観的に述べたにすぎないのです。しかも、そういう状況をよしと思うのでなく、嘆いていました」


誤解から始まったとはいえ、その事態を重く見たビートルズ側は全米ツアー初日の前日にあたる8月11日、ジョンによる謝罪会見を開いた。

その翌日から始まった全米ツアーは、これまで以上に精神的な負担を強いるものであった。
メンバーたちはいつ誰に殺されるかもわからないという恐怖の中で、大観衆の前に立たなければならなかったのだ。

謝罪の効果もあってか北部では何事もなくツアーは進んでいったが、熱心なキリスト教徒の多い南部のバイブルベルト地帯ではそうもいかなかった。
テネシー州のメンフィスでは公演当日に脅迫の電話が入り、本番中にも発砲音のようなものが鳴り響いた。
音の正体は爆竹だったが、ツアーに同行していた広報担当のトニー・バーロウは、ジョンが撃たれたのかと思ったほどだった。

「ステージ脇にいた私たちとステージにいたビートルズの3人は、みんな即座にジョン・レノンのほうを見たよ。そのとき彼が倒れるのを見ても、きっと驚かなかっただろう」


いつどこで誰が殺されても不思議ではないという極限状況と、休みのないハードスケジュールによって、メンバーは心身ともに限界を迎えつつあった。

8月29日、ビートルズはようやくツアー最終日となるサンフランシスコにたどり着いた。
その道中でポール・マッカートニーは、広報のトニーにひとつの提案をした。

「テープレコーダーを持ってるんだろう?
今夜のを録ってくれないか?
今夜のを録音してくれよ」


コンサートはいつも通りだった。
その日を最後にビートルズがコンサート活動を停止することは、世間に公表されていなかったのだから当然だ。

しかし表には出さなくともメンバーはそれぞれの心の内で、ツアーから解放される喜び、あるいは最後のステージとなることへの寂しさなど、複雑な感情を抱いていたことだろう。



ラスト・コンサートを終えて帰りの飛行機に乗ったジョージは、こう口を開いた。

「さあ、終わったぞ。僕はもうビートルじゃないんだ!」


彼らはその後も『サージェント・ペパーズ~』や『ホワイト・アルバム』といった傑作を生み出していくことになる。
だがアイドル、あるいはライヴ・バンドとしてのビートルズは、このとき確かに終わりを迎えたのだった。


<参考文献>
『ビートルズ オーラル・ヒストリー~関係者の証言で綴る立体ビートルズ史』デヴィッド・プリチャード/アラン・ライソート著 加藤律子訳(シンコー・ミュージック)



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