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60歳を目前にそれまでの人生を清算したエリック・クラプトン

2018.08.02

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2004年。3月30日に59歳となったエリック・クラプトンは、その1週間前に、敬愛するブルースマン、ロバート・ジョンソンの作品を取り上げたアルバム「ミー・アンド・ミスター・ジョンソン」を発売していた。

 アルバムのジャケットには、ロバート・ジョンソンのレコード・ジャケットように座り、ギターを手にするクラプトン、そしてその背後にはロバート・ジョンソンの肖像画が描かれていた。この絵を描いたのは、ビートルズの「サージェント・ペパース・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットを手掛けたことでも知られるピーター・ブレイクである。

「ロバート・ジョンソンを聴いた時から、それまで聴いてきた音楽はすべて、ショーウィンドウに飾られた商品のような気になった」

 クラプトンは、そんな言葉でロバート・ジョンソンの音楽を説明している。

「最初聴いた時は、あまりに強烈で恐ろしかった。吸い込める量もごく僅かだった。だが、少しずつ力がついてくると、もう少し吸収できるようになっていく。そんなふうにして、最後には、古くからの親友のような存在になった」



 60歳を迎える最後の1年。
 クラプトンは他にも、人生の節目となるような行動に出ている。
 6月には、2回目となるクロスロード・ギター・フェスティヴァルをダラスで開いている。このフェスティヴァルは、クラプトンがドラッグやアルコール中毒の治療のために、カリブのアンティグア島に建設した施設クロスロード・センターを支援するための、チャリティー・イベントだった。
 クロスロード・センターがつくられたのは、1998年。その翌年に、第1回クロスロード・ギター・フェスティヴァルは開かれている。2004年の第2回は、5年目のアニバーサリーだったのである。
「私が本当の意味で、人生のプレッシャーから逃れられる唯一の場所、それがアンティグアだった」と、クラプトンは語っている。



 クラプトンがドラッグから復活した1974年。それは2004年から遡ること、30年。29歳だったクラプトンは復帰作「461オーシャン・ブールヴァード」を発表し、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をヒットさせ、初来日を果たしている。
 当時から、黒いフェンダー・ストラトキャスターは、クラプトンの相棒だった。クラプトンといえば、ブラッキーという愛称でも呼ばれるこのギターを思い起こす人が多いはずである。
 2004年6月。
 クロスロード・フェスティヴァルが開かれたその同じ月。クラプトンは、2度目となる自身のギターのオークションを開いている。そして、そこにはブラッキーも出品されたのである。
 クラプトンの分身ともいえる黒いストラトキャスターには、1億円以上の値段がついた。

 クラプトンは一度、それまでの人生をリセットさせて、60代を生きていこうとするように見えた。
 そして2004年8月2日。
 彼は若い頃から好きだったブランド、コーディングスの株式を50%取得し、筆頭株主となっている。
 コーディングスは1839年創業のイギリスの老舗ブランドである。

コーディングス公式サイト(英語)



Eric Clapton『Me And Mr. Johnson』
Reprise Records

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