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デビュー前の青春時代〜パティ・スミス27歳

2017.12.30

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「パティ。僕らみたいに世界を見る奴なんて、誰もいないんだよ」

写真家ロバート・メイプルソープは、デビュー前のパティ・スミスに対していつもそう言っていたという。
1974年、27歳のパティ・スミスはニューヨークの住人となって7年目を迎えていた。
その翌年、彼女はデビューアルバム『Horses』を発表する。
当時、彼女のパートナーだったロバートによるジャケット写真も話題となり、そのアルバムは“ロックの名盤”として今日まで高い評価を受けている。
彼女がロバートと出会ったのは1967年の夏、共に二人は二十歳だった。
そんな二人が出会い…別れてゆくまでの“青春の日々”こそが、唯一無二の存在感を放つアーティスト“パティ・スミス”にとって最も重要な数年だったのかもしれない。

その運命的な出会いから、さかのぼること数年…彼女は思春期の頃に、詩人ランボーとボブ・ディラン、ローリング・ストーンズやドアーズのジム・モリソンに大きな影響を受けて芸術の世界にのめり込んでいったという。
そして十代にして早くも“アーティストとして生きる道”を選択する。
ハイスクールでは美術を専攻し、大学でもそれを貫こうとするも、学費が払えないため、奨学金を得て美術教師になるための教員大学に入学した。
そして卒業を間近に控えた頃、彼女は子供の父親もわからないような妊娠をしてしまう。
当時(1964年)のアメリカでは妊娠中絶は違法とされていたので、彼女は大学を辞め出産をする。
さらに彼女は自身の経済状況から、その子供を養子に出すこととなる。
この選択は彼女にとって、長い間大きな重荷となってゆく。
学校と子供、それに未来への希望も失ってしまった彼女は、工場で働きながら悲しく退屈な日々を過ごすこととなる。
そんな生活を続ける中、「もうこれ以上失うものなどない」と悟った彼女は、新たな出発の決意をする。
そして1967年の夏、彼女は8歳の頃から育ったニュージャージーの片田舎を後にして単身ニューヨークへと旅立った。
わずかな現金(16ドル)を握りしめて、何のあてもないまま…逃げるように、祈るように、そして輝ける未来を求めて。
当時のアメリカと云えば、ヒッピー文化が花開き、フラワーチルドレンが闊歩した「サマー・オブ・ラヴ」の時代である。そして「スチューデントパワー」や「ブラックパワー」が吹き荒れた政治の季節でもあった。

「芸術家は自分のことを分かってくれる」という、思い込みにも近い考えがあった彼女はランボーやディランのようなアーティストの愛人になりたいと、当時は本気で思っていた。そうした空想を取り去り、自身も芸術家としてやってゆくことを決意させたのが、ニューヨークで出会ったロバート・メイプルソープの存在だった。
彼女はあるインタビューで、当時の二人の出会いをこんな風に表現している。

「それは、コルトレーンが亡くなった夏だった。フラワーチルドレンたちが手のひらを広げた夏だった。そして、私がロバート・メイプルソープに出会った夏だった。」


彼女はニューヨークに着いて間もない頃、ウェイトレスや書店員などの職を転々とし、ある時はホームレス同様の極貧生活をしていたという。
そんな中、ある日彼女は一先ず泊めてもらうために知人のアパートを訪ねた。
ところが、その知人はすでにそこから引っ越しており、かわってそこに住んでいたのが、写真家志望の青年ロバート・メイプルソープだった。
その後、同い歳でアーティスト志望の二人は親しくなり、ロバートは彼女が抱える悩みについて親身になって助言を与えてくれるようになる。
それと共に、彼女に対して自分だけの芸術表現を生み出すようにと勇気づけた。

「パティ。僕らみたいに世界を見る奴なんて、誰もいないんだよ」

出会った当初から、ロバートは彼女にこの言葉をかけていたという。

共同生活を始めた二人は、お互いの才能を伸ばしあうようになる。
彼女は新天地ニューヨークで書店員をしながら、詩を書き、絵を描き、時には演劇に出演したりするなどの芸術活動を始めた。
とは云え当時の彼女はランボーやディランに憧れる文学少女に過ぎなかったし、ロバートもまた、アーティスト志望の無名の若者に過ぎなかった。
そんな二人を大きく変えたのが、1970年頃から滞在(共同生活)していたチェルシーホテルでの日々だった。
様々のアーティスト達が“たまり場”としていたこの歴史的ホテルでの数々の出会いが、アーティストとしての彼らを形作ったのだった。
アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズ、サルバドール・ダリ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスといった人間との交流が二人を大いに刺激した。
そんな中、彼女は同じ“チェルシーの住人”でもあった(現在は俳優としても知られる)劇作家のサム・シェパードから戯曲の共作を依頼されたりして、徐々に活動を活発化させる。
1971年、アンディ・ウォーホルの初期共同制作者であるジェラルド・マランガの、セント・マークス教会での朗読会の前座として出演することとなった彼女は、すでに知り合っていたギタリスト(当時はレコード屋の店員をやりながら音楽評論を書いていた)レニー・ケイのエレクトリックギターに詩を乗せてポエトリーリーディングを行い、詩人としての一歩を踏み出したのだ。

そんな新しい日々が続く中、ゲイという自分のセクシャリティに気づき混乱し始めたロバートが彼女に「サンフランシスコに一緒に来てくれないか?あそこには自由がある!自分が誰なのか見極める必要があるんだ!」と迫った時があったという。
当時のサンフランシスコはヒッピーの聖地であると共にゲイカルチャーのメッカでもあった。
ロバートが同性愛に目覚めた時に、パティは「それは今まで文学の中にしか存在してなかったから、どう受け止めたら良いか戸惑った」と正直な気持ちを吐露しているが、彼に同性愛的な写真を撮るように勧めたのは彼女だったという。
お金がないのに“そっち向けの雑誌”を買っては、大した写真が載ってなくてがっかりしたりしてたロバートに対して彼女はこんな言葉をかけたという。

「それなら自分で自分の写真を撮ってみたら?」

その後、深く魂のレベルで繋がっていたはずの二人は、男女の関係ではなくなったことを意識し始め、しだいに住む世界にも違いを感じ始める…。
二人は各々新しいパートナーを得て、別々で暮らす決心をし、チェルシーを離れることとなる。
そして1972年10月20日、奇しくもランボーの誕生日に二人は別れた。

1973年、彼女は自ら志願して、当時すでに話題となっていたニューヨーク・ドールズの前座として舞台に立った。
この時、彼女はなんと伴奏無し、マイク無しで観衆の前に立ったという。
もちろん、観衆のほとんどはニューヨーク・ドールズのファンであり、彼女のことなど知らない若者達ばかりだった。
ステージ上の彼女は、汚いヤジと闘いながらも、しだいに観衆を引き込んでいった。
彼女のパフォーマンスは、初めて聴くオーディエンスさえも感動させることができることを見事に証明してみせたのだ。
こうして、彼女はアンダーグラウンドシーンのカリスマとして迎えられるようになってゆく。
マスコミもすぐに彼女に目を付け、彼女のことを「キース・リチャーズの顔をした両性具有の女流詩人」などと書き立てた。
目まぐるしい日々を送る中…振り返ればこの街(ニューヨーク)に来て7年の歳月が流れていた。
1974年、27歳となった彼女はレニー・ケイ等と共に自身にとってのデビューアルバムの制作準備をスタートさせた。
そして翌1975年の『Horses』リリース以降、好調に数枚のアルバムを発表する中、1980年に彼女はフレッド・スミス(MC5のギタリスト)と結婚し音楽活動を休止した。
彼女が新たな子供を授かったその時、ロバートがエイズに感染したことを知らされたという。
そして時は流れ…1989年、ロバートはこの世を去った。享年42だった。
出会いから約22年間…ランボーの誕生日に別れた後も二人の友情は続いていたという。
その後、夫の死を乗り越えながらも良質な作品を発表し続け、孤高の存在としてステージに立ち続けた彼女は、2007年に「ロックの殿堂入り」を果たし、2011年には音楽界のノーベル賞とも言われる「ポーラー音楽賞」を受賞した。
彼女は現在もステージに立ち続けている。
観客からの熱狂的な歓声の中…彼女にだけはこんな声が聞こえているのかも知れない。

「パティ。僕らみたいに世界を見る奴なんて、誰もいないんだよ」







PATTI20SMITH20HORSES
パティ・スミス『Horses』
1975年/BMG JAPAN

『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』(デラックス・エディション)[DVD]

『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』
(デラックス・エディション)[DVD]

「彼女の魂は叫ぶ この愛すべき世界のために」
パティ・スミス。1970年代に頭角を現し、類まれな音楽性、怒りを表現した詩、独自のスタイルを貫くパフォーマンスで、ミュージックシーンを刺激し続けてきた伝説のロッカー。パンクの女王であると同時に、詩、絵画、写真…、多岐にわたる分野で活躍するアーティストであり、社会活動家であり、そして母であり、娘でもある、ひとりの女性…。
本作は、実に11年間にも及ぶ密着取材で記録された映像をベースに、ライブ・パフォーマンス、自身による解説、インタビューを通して、彼女の半生、精神性、哲学を解き明かしていく人生唯一のドキュメンタリーである。親友メイプルソープ、よき相談役であった弟、そして最愛の夫フレッド・スミス。相次ぐ理解者の死。熱気に満ちたライブで、「ブッシュを糾弾せよ!」と叫ぶ勇姿。カメラは、両親の暮らす実家やニューヨークの自宅、ジャパンツアーのバックステージにまで踏み込み、これまで決して見ることのできなかったパティの素顔に肉迫。そこに浮かび上がるのは、常に人生と闘い続けるひとりの女性、その真実の姿である。


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