2011年3月11日に起きた東日本大震災、そして津波によって起こった福島原子力発電所の事故。
多くの海外ミュージシャンが放射能の危険から身を護るために日本公演をキャンセルする中、シンディ・ローパーは日本に残ってライブを決行した。
もしあなたが道を見失っても 見渡せば 私がいるわ
何度でも 何度でも
もしあなたが倒れたら 私が受け止めるから 待っているわ
いつまでも いつまでも
シンディがソロ・デビューしたのは1983年で、同じ年にデビューしたマドンナが25歳だったのに対し、シンディはこのときすでに30歳だった。他のミュージシャンと比べても、かなり遅咲きの部類に入るだろう。
1953年に生まれたシンディは12歳でギターを手に取ると、その後いくつかのバンドで活動したが、77年に声帯を痛め声が出なくなってしまった。医者からはもう二度と、唄えないだろうと通告された。
しかしヴォイス・トレーナーの支えと懸命なリハビリによって、一年後に再び唄えるようになったシンディは新たに自身のバンド、ブルー・エンジェルを結成する。
それから2年後の1980年、ブルー・エンジェルはついにポリドールと契約を結び、念願のデビューを果たした。しかしセールスは思ったほど伸びず、レコード会社やマネージャーとのトラブルも起きて、バンドは解散せざるを得なかった。さらにはマネージャーから訴訟を起こされて、自己破産してしまうまで追いつめられた。
何もかも失ったシンディだったが、それでも歌を諦めることはなかった。
1983年の春。生活費を稼ぐのためにリサイクルショップや日本料理店で働き、クラブやバーで歌っていたシンディに手を差し伸べたのが、彼女のマネージャーとなるデヴィッド・ウルフだ。
デヴィッドの紹介でレコード会社との契約が決まると、秋にはファースト・アルバム『Shes So Unusual』でソロ・デビューする。そこでシングル・カットされた「Girls Just Want to Have Fun」がヒットし、全米チャートで2位まで上昇したのだ
そして84年にリリースしたセカンド・シングル「Time after Time」が、ついに全米1位の大ヒットとなったことで、シンディはやっとシンガーとしての成功を掴んだといえる。
震災から1年後の2012年3月。再び来日したシンディ・ローパーは記者会見で、震災後も日本に留まった理由についてこう答えている。
歩いていて、前の人が転んで倒れたとき、どうするか?ということです。
立ち止まって、立ち上がるのを手を貸すか、
それともその人を踏んで歩くのか、ということです。
私は転んだ人に手をさしのべるような人間になるように育てられました。
(NHK「かぶん」ブログより引用)
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