「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

新着

TAP the LIVE

浅川マキの目に映った歌手としての野坂昭如

舞台の隅っこから逆光の照明のなかに野坂さんの背中が見える。わたしはこの夜、野坂さんのバック・コーラスを受け持っていた。 浅川マキが野坂昭如とともにステージに上が…

TAP the SONG

トリックスターとなった小説家、野坂昭如のために作られた「マリリン・モンロー・ノーリターン」

コマーシャルソングの祖とされる三木鶏郎門下でキャリアをスタートさせた桜井順は、今でも使われ続けている「お正月を写そう」(富士フィルム)を筆頭に、「ブタブタ子ブタ…

TAP the LIVE

ジョン・レノンがチャック・ベリーから受け継いだもの

「ロックンロールに別名を与えるとすれば『チャック・ベリー』だ」(ジョン・レノン) 1950年代に数々のヒット曲を放ち、後世のロック・シーンに計り知れない影響力を…

TAP the ROOTS

リーダーであることをやめたジョンの、たったひとりのベッドイン

アルバムの1曲目はどの曲にしようか。針を落とすレコードの時代には、今よりずっとずっと大切な問題だったはずである。ビートルズが発表してきたアルバムの1曲目は、誰が…

TAP the CHANGE

B-52’sの「ロック・ロブスター」を聞いて新たな時代がきたことを確信したジョン・レノン

ジョン・レノンが息子のショーンを連れ、ニューポートからバミューダ諸島へ向けての船旅に出たのは、1980年の初夏のことだ。 ショーンが生まれてからというもの、ジョ…

ミュージックソムリエ

僕らの世代が見たビートルズとジョン・レノン~斉藤和義、真心ブラザーズ

1966年夏、ビートルズの初来日に、日本中が沸き立った。 当時10代~20代だった多くの若者は、たとえ来日公演を見ることができなくても、ラジオやレコードから流れ…

TAP the SONG

ジョン・レノンの直感がもたらしたレコーディング技術によって完成した「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」

1966年の9月初旬から、ビートルズのメンバーはソロ・プロジェクトに挑戦し始めたので、滅多に顔を合わせることがなかった。 しかし、再集結して新しいアルバムのレコ…

TAP the STORY

ジョン・レノン27歳〜敏腕マネージャーの死、インド哲学への傾倒、そしてヨーコとの関係を深めていく日々〜

1967年10月9日、ジョン・レノンは27歳の誕生日を迎えた。この頃のジョンは、深い悲しみの中にいた。 “ビートルズを売り出した男”として知られる男、敏腕マネー…

Extra便

ジョン・レノンが亡くなる数時間前に最後の写真を撮っていたアニー・リーボヴィッツ

1980年12月8日午前、ダコタ・ハウス。写真家が見た愛のカタチ アニー・リーボヴィッツ──彼女の名前を聞いて一体何を思い浮かべるだろう? あらゆるミュージシャ…

TAP the ROOTS

“グレープフルーツ”の産物として誕生した「イマジン」

ビートルズ解散後の1971年に、ジョン・レノンが発表した「イマジン」。同曲を収録したアルバム『イマジン』とともに、ソロ時代のジョンにとって最大のヒットとなった。…

TAP the DAY

ジョン・レノンの「イマジン」を時間と手間をかけて育んでいった人たち

ジョン・レノンの代表曲といえば、今ではほとんど条件反射的に「イマジン」が取り上げられる。 だが、この曲が他の作品よりも高く評価されるようになったのは、1980年…

TAP the ROOTS

世界が「イマジン」で満たされた日

1980年の12月8日。 その日は、いつもと同じような月曜日になるはずだった。僕が暮らしていた学生寮の4階の部屋の窓がスチームで曇るようになってからは、夜になる…

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