1969年。
ボビー・ウィットロクはエリック・クラプトンに電話を入れた。
「やあ、どうしてる?」
ボビーは、デラニー&ボニーのツアーでクラプトンと知り合っていた。
「ああ、今、髪を切ってもらうところさ」とクラプトンは答えた。
「ここから逃げ出したいんだ。そっちに行ってもいいかい?」とボビーは言った。
「もちろん。やって来いよ」とクラプトンは答えた。
そしてその2日後、ボビー・ウィットロクはロンドンに到着することになる。
ボビー・ウィットロクには、もうひとり、ロンドンでの友人がいた。ビートルズ解散騒動の中、いち早く新しい道に進みたいと考えていたジョージ・ハリスンだった。
ジョージは当時、「愛しのレイラ」のモデルとなるパティ・ボイドと結婚していた。そしてボビーはそのパティの妹に思いを寄せていたのである。
クラプトンとボビーがデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成し、「愛しのレイラ」を発表することは、いわば、最初から決まっていたような筋書きである。
だから、であろう。
「愛しのレイラ」に収録されている「ベルボトム・ブルース」はパティへの愛の告白だと言われてきた。
🎵
ベルボトム・ブルース
涙が出てくるよ
この思いを失いたくないからね
もし、死に場所を選べるなら
それは君の腕の中
🎵
シャイに見えるクラプトンとは思えない熱いラブソングである。
さらに、歌詞はこう続く。
🎵
君は
愛を求めるあまり
床を這いまわる僕が見たいのか?
君は
帰ってきてくれと
泣き叫ぶ僕の声が聞きたいのか?
🎵
ここまで来ると、演歌の世界だ。
さらに、「レイラ」のイメージを決定づけたのがアルバム・ジャケットだった。
油絵で描かれた女性像。描いたのは、フランスの画家、エミール・セオドア・フランセン・ド・ショーンバーグ。「花束を持つ少女」と題されたこの絵の女性がクラプトンの女神、パティに似ているからジャケットに使ったのだ、というのがこれまでの説明だった。
だが、ボビー・ウィットロクは、デレク・アンド・ザ・ドミノスがフランスをツアー中、目撃したクラプトンのロマンスについて語っている。
「エリックがその女性に会ったのはフランスだった。彼女はペルシャの王女様といった雰囲気の女性で、ベルボトム・ジーンズをはいていた。エリックと彼女はすぐに恋に落ちたのさ」
ふたりの間には言葉の障壁があった。だが、通訳を入れてまで、ふたりは一緒の時間を過ごした。クラプトンはデュアン・オールマンからもらったスライド・ギターのボトル・ネックを皮に包み、彼女に贈った。翌日、彼女はそのボトル・ネックをネックレスに通して現れた。
「もちろん、その恋は、僕らがフランスにいた間だけのものだった。だがイギリスに戻ると、ハートウッド・エッジにあったエリックの家で、僕らはこの曲を仕上げたのさ」
アルバム「愛しのレイラ」の原題は、「レイラと各種のラブソング」である。そしてロックンローラーは恋多き生き物なのだろう。
(このコラムは2017年5月10日に公開されました)