「みんなひとつになって盛り上がろうぜ!」と全員で拳を突き上げ、一体感を味わうことも、ロックのライブの楽しみ方だろう。
だがその一方で「音楽でひとつにならなくたっていい」と、常にライブのMCで語り続けてきたのが、eastern youthの吉野寿だ。
「ロックでひとつになるために歌っているわけではなく、ロックで“個”を取り戻すために歌っている」と語り、個であることの大切さを説く。
ひとつの価値観を押し付けて、そこからはみ出る者を阻害するような社会に対して、抗い、叫び続けてきたのがeastern youthの音楽だ。孤独や不安も飾らずにまっすぐ歌い続けてきたその姿勢が、今にわかに若者の注目を集めている。
きっかけは2018年のフジロック・フェスティバルだ。
出演したeastern youthのライブをたまたま観た者に加えて、インターネットで同時配信されたライブ映像や、動画配信サイトに投稿されたライブ映像によって、彼らのライブを初めて観た若者の多くが衝撃を受けたようだ。
投稿された動画は、1998年のアルバム『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』からの人気曲「夏の日の午後」だ。「ベストアクトだった」という国内外からの書きこみや「配信で初めて知った」というコメントもあり、他のSNSなどからも反響の大きさがうかがえる。
eastern youthは1988年に北海道で、ギター&ボイスの吉野寿、ドラムの田森篤哉、ベースの三橋徹の3人で結成された。その後、上京に伴い三橋が脱退、二宮友和がベーシストとして加入し、以後ずっと3人で音を鳴らし続けてきた。
北海道の広大で凍てつく大地に響き渡るようなスケールの大きさを感じる、パンク~オルタナティブ・ロックのギター・サウンドに、文学的な歌詞を乗せて叫ぶスタイルが彼らの音楽の特徴だ。そのサウンドは時にエモーショナルと形容されることもある。
結成から30年、彼らにも困難な時期はあった。
2009年に吉野が急性心筋梗塞で倒れ、治療のため一時活動を休止した。
そして2015年には、長年活動を共にしてきたベーシストの二宮が脱退する。しかし、吉野からの指名で加入することとなった村岡ゆかは、ずっと彼らのファンであったというだけあって、素晴らしいベースを聞かせてくれている。
変わらない姿勢で音楽を鳴らし続けるeastern youthの吉野は、「生きている実感が欲しくてやっているだけ」と語る。
昨年発売されたアルバム『SONGentoJIYU』からのタイトル曲「ソンゲントジユウ」は、押しつぶされそうになってもギリギリのところで負けずに頑張っている、そんな人々に寄り添う歌だ。
ブラックやパワハラがなくならない今も劣悪な労働環境は、働き方改革で本当に良くなるのだろうか。広がり続ける格差、ネット上で繰り広げられる顔の見えない誹謗中傷、そのような生きづらい世の中で疲弊しきっている私たちの心に、eastern youthの叫びはまっすぐに突き刺さり、閉ざしていた涙腺を緩ませ、冷えきっていた心を温める。そして勇気と力が湧いて来るのだ。
死ぬほど辛かったら逃げ回ればいいんですよ。自分を抑圧する全てのものから。
「自分を取り戻すまで、逃げて逃げて逃げ回ればいい」と語る吉野。
彼らの2001年のアルバム『感受性応答セヨ』からの人気曲「夜明けの歌」では、逃げても必ず朝が来るのだと、私たちに希望を伝える。
生きづらさを抱えていても、前を向いて生きて行こうと思えるだろう、彼らが叫び続けてくれる限り。
OTOTOYインタビュー~eastern youth、最強伝説継続中! ──生存の実感は誰かの手に委ねちゃいけねえんだ
https://ototoy.jp/feature/20170927
朝日新聞DIGITAL & Intervew ~「死ぬほど辛かったら逃げ回ればいい」イースタンユース吉野寿が示す“尊厳と自由”
https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018012920391.html