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敗戦に沈む日本人に活力を与えた、陽気なうた──笠置シヅ子「東京ブギウギ」

2024.03.29

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アメリカ軍の空爆ですっかり焼け野原になった日本で、何もかも失って餓えずに生きていくことだけで精一杯であった人々を励ましたのは、敵国だったアメリカで生まれた陽気なビートだった。

作曲家の服部良一は敗戦の悲嘆に沈んでいる日本人に、力強くて活力になる音楽を提供することが音楽家の仕事だと考えていた。

焼け跡となったうらさびしい銀座を歩いているとき、偶然に聞こえてきた「星の流れに」から連想したのはブルースだったが、服部が「焼け跡のブルース」というのはどうだろうと口にすると、ジャズ評論の第一人者で作詞家でもあった野川香文から、「今はブルースを作る時期ではない、ぐっと明るいリズムで行くべきだ」と言われた。

その瞬間、それならブギウギがいいと思いついたのだった。

何か明るいものを、心がうきうきするものを、平和への叫び、世界へ響く歌、派手な踊り、楽しい歌……。


服部はアメリカの音楽を聴くことも演奏することも禁止されていた戦時中に、アンドリュー・シスターズのヒット曲、「ビューグル・コール・ブギウギ(Boogie-Woogie Bugle Boy )」の楽譜を手に入れて、そこでブギウギと出会っていた。

ピアノで演奏されるブギウギは、ブルースが内包してるダンス音楽的な要素を前面に打ち出したビートが主役で、左手が1小節に8個のビートを刻む点からも、明らかにロックンロールの原型である。


笠置シヅ子が歌った「東京ブギウギ」は、1948年1月に発売されて大ヒットする。不幸や不安、苦しみや哀しさをバネとする前向きなエネルギーは、アメリカの黒人音楽から生まれたビートやグルーヴを受け継ぐものだ。

作詞家の阿久悠は12歳で初めて「東京ブギウギ」を聴いたが、「これはただならない世界だという衝撃を感じた」という。

アナーキーさに怯んでしまったのか、エネルギーに圧倒されて立ちすくんだのか、楽天性あきれかえったのか、ブギウギと、うきうきと、ずきずきと、わくわくは、十二歳の少年に、初めてアルコールを飲んだ以上の混乱を与えたのである。(阿久悠『愛すべき名歌たち』)


底抜けに明るい「東京ブギウギ」が一世を風靡して、笠置シヅ子は「大阪ブギウギ」「買物ブギー」「ジャングル・ブギー」など立て続けにヒットを飛ばす。

日本全国にブギウギ旋風が巻き起こっていた1949年1月、日劇のレビュー『ラブ・パレード』に出演した無名の少女が、「東京ブギウギ」をカヴァーして注目を集めた。

その少女はただちに東横映画『のど自慢狂時代』に抜擢され、ブギウギを歌う少女として映画に初出演を果たす。

そして8月には松竹『踊る竜宮城』に出演し、主題歌の『河童ブギウギ』をコロムビアから発売して11歳でレコードデビュー。こうして“美空ひばり”は、またたく間にスターになっていくのだった。

*このコラムは2014年6月に初回投稿された記事に加筆修正しました。



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