ジャズシンガーの安田南が前ぶれもなく、ふいに表舞台から姿を消したのは1978年のことだ。
それからというもの、消息はほとんどわからず、彼女の名前は「プカプカ」のモデルとなった女性として、音楽ファンの間で語られることになった。
テレビの演出家で作家としても活躍した久世光彦は、歌をめぐる名エッセイ集『マイ・ラスト・ソング』のなかで、「プカプカ」をこんなふうに取り上げている。
いわゆる七十年代フォークなのだが、私には、この「プカプカ」だけが、ある日は哀れなサーカスのジンタの音(ね)のように、そして明くる日は教会の讃美歌みたいに聞こえる、奇妙で忘れられない歌だった。
そんな”奇妙で忘れられない歌”に惹かれた人たちが愛聴するうちに、みんなが「プカプカ」を自分でも歌うようになっていった。
そのことで詠み人知らずの歌と同じように、「プカプカ」はテレビやラジオというメディアを通さすに、口伝えで人々に広まっていった。
作者だったシンガー・ソングライターの西岡恭蔵のもとを離れて、歌だけが夜の巷をひとり歩きしていったのである。
1970年を迎えて新しい時代の役者として脚光を浴びていた原田芳雄が「プカプカ」を歌うようになったのが、静かなブームの発火点になったとも言われている。
新宿ゴールデン街や花園一番街といった場所にあった映画や演劇の関係者、小説家や編集者たちが集う小さな飲み屋やゲイバーなどで、「プカプカ」は70年代の前半から半ばにかけて、局地的に流行り始めたのだ。
それは「プカプカ」が一人で聴く歌ではなく、時代や価値観を共有する友や仲間とともに聴ける歌だったからだろう。
日活ニューアクションの名作『反逆のメロディー』(1970年)や『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』(1970年)、『野良猫ロック 暴走集団’71 』(1971年)と立て続けにアクション映画で主演した原田芳雄は、1970年代という時代を体現するヒーローだった。
そして桃井かおりや松田優作など役者の後輩たちにも慕われて、芸能界になじまない俳優たちや演劇人に大きな影響を与えていた。
そして安田南と原田芳雄は俳優座養成所時代からの仲間という関係にであった。
役者の原田芳雄が歌う「プカプカ」は、小手先の技術や巧みさなどを超えて、本音で生きる人の心にまっすぐに届く歌だった。
小学生の時から美空ひばりに憧れて歌い手を目指していたという原田芳雄は、中学生でジャズのスタンダードを歌うようになり、「素人ジャズのど自慢」という番組にも出たことがあった。
しかしエルヴィス・プレスリーの登場で、その圧倒的なエネルギーにはとても太刀打ち出来ないと、歌手の道をあきらめたのだった。
俳優座養成所時代には仲間たちと作った自作のオリジナル・ソングを、芝居が終わってからも座興でうたっていたという。
やがて役者となって成功した後は本音だけで語られる「プカプカ」が、与えられた役から解放されてうたう時にはぴったりだった。
いつもは仕事で他人を演じる俳優や役者たちが、素になったプライベートの時間に、好んで歌ったのも偶然ではなかったのだ。
そもそも「プカプカ」はプロの歌い手が、歌唱技術をもって演じて聴かせる歌ではない。
演歌といわれるジャンルの歌手が、ほとんど誰も取り上げていないのはそういう理由がある。
最初に「プカプカ」をカヴァーしてシングル盤を出したのは、60年代後半からは女優としても活躍した殿岡ハツエだった。
日劇ダンシングチーム出身のダンサーで、ストリップの日劇ミュージックホールに移ってから、花形になった殿岡のレコードでバックの演奏とアレンジを務めたのは、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆からなるキャラメル・ママ、後のティン・パン・アレーだ。
サブカルチャーとメインカルチャー、アンダーグラウンドとオーバーグラウンド、それらが奇妙に交錯した場所と時代を得て、「プカプカ」は同時代を生きている人たちの間に漂っている煙のように、どこの誰ということもなく拡散しながら歌い継がれていった。
そんななかで1999年4月3日、西岡恭蔵が自宅で自ら死を選んだ。
愛妻のKUROに先立たれて、三回忌を迎えるの前の日のことだった。
妻で作詞家だったKUROこと安希子さんを病気で亡くして、西岡恭蔵はたびたび「寂しい、寂しい」と言っていたという。享年50。まことに惜しまれる死だった。
しかし作者がいなくなっても「プカプカ」は今日もまたどこかで、たくさんの人に歌われることで新しい生命を与えられて生きている。
(注)文中の引用は久世光彦氏の著書「ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング」 (文春文庫) からの引用です。
<なお「プカプカ」のコラム第1回と第3回は、こちらからご覧いただけます>
(1)「プカプカ」のモデルとなったのは激動の時代を駆け抜けたジャズ・シンガーの安田南だった
(3)「プカプカ」を歌っただけでなくアンサーソングまで作った女優の桃井かおり
(4)追悼・石田長生~初めて日本語でブルースを感じさせられた曲「プカプカ」
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