伝説のオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)に出場した石野真子は高得点で合格、1978年3月25日に「狼なんか怖くない」でデビューすることになった。
初代のディレクターを担当したビクター・レコードの谷田郷士は、芦屋育ちのお嬢さんだった少女に会ったときの印象をこう語っている。
初めて会ったときは高校2年生でしたけど「将来、何になりたいの?」と訊いたら「お嫁さんになりたい」と言われてびっくりした記憶があります。とにかく育ちがよくて、控えめで、明るくて。そばにいるだけで周りを幸せな気持ちにしてくれる子でしたから、そのキャラクターをそのまま出してあげれば、絶対に売れるだろうなと思いましたね。
しかし、所属事務所となったバーニングプロダクションの周防郁雄社長は、デビューにあたって将来性の面から心配なことがあったという。
「声は寒声(かんせい)だから、あまり売れないんじゃないか」。そんな周防社長の不安を払拭してもらうためには、尖った作品を用意する必要があると谷田は考えた。
そこで思い浮かんだのが、アイドルにも楽曲を提供していた吉田拓郎だった。彼の起伏がある独特のメロディ、いわゆる“拓郎節”なら行けるのではないかと思ったのだ。
『スター誕生!』の企画者であり、番組の中心的存在だった作詞家の阿久悠にそのアイデアを相談すると、「面白いね」と賛同してもらうことができた。
阿久悠は「とにかく僕が先に詞を書くよ」と、3篇の詞を書き下ろしてくれた。
その中には「狼」のことを題材にした作品があった。
すでにキャンディーズや浅田美代子といったアイドルの楽曲を手がけていた吉田拓郎だったが、歌謡曲の王道で大活躍していた阿久悠とはこれが初めての仕事となった。
フォークと歌謡曲、それぞれを代表する大物同士の組み合わせとあって、谷田は「これは大変な仕事になるな」と感じながら、吉田拓郎が所属するユイ音楽工房へと赴いた。
そしてフォークを担当していたときから親交のあった、プロデューサーの陣山俊一に相談することにした。
「拓郎はアイドルが好きだから、きっと引き受けますよ」と前向きの返答をくれた陣山に連れられて、谷田は吉田拓郎が行きつけのバーで対面することになった。
しかし、その場ですぐに了解してもらえたわけではなかった。
あきらめずにもう一度、谷田は石野真子本人を伴って相談に行くことにした。
吉田拓郎は彼女を気に入ったようで、「僕がファンクラブの第1号になります」と快く引き受けてくれた。
そこからの展開は、とんとん拍子に進んだという。
阿久さんが書いた詞をお渡ししたら、すぐに曲をつけてくれてね。「僕がディレクターをやるから」と言って、ビクタースタジオの一番大きなスタジオで3曲同時にレコーディングをして。そこには「狼なんか怖くない」をアレンジしてくれた鈴木茂さんはもちろん、周防社長も立ち会って、夜10時から朝の3時くらいまで、付きっ切りでレコーディングしました。
吉田拓郎がアレンジを依頼したのは元はっぴいえんどの鈴木茂で、その斬新なサウンドも当時は評判になった。
こうして1970年代前半には結びつきが薄かった歌謡曲とフォーク、そしてロックがアイドル・ソングによって融合していったのである。
そして大人たちの期待を受けてひたむきに歌った石野真子の健気さを、レコードの溝から確かに聴き取ることができたこともあって、デビュー・シングルに選ばれた「狼なんて怖くない」はヒットした。
石野真子は屈託のない笑顔と天真爛漫なキャラクター、キュートなルックスと歌声で、アイドルとして順調な船出を飾ることができた。
ところで「狼なんて怖くない」のタイトルと歌詞は、当時の阿久悠が手がけていた人気アイドル、『スター誕生!』出身のピンク・レディーが大ヒットさせた「S・O・S」の一節、「男は狼なのよ、気を付けなさい」を受けて、別の視点から発展させた内容だった。
阿久悠はそのことと「狼」について、「決して狼の存在を容認したり、狼の恐怖を否定するものではない」という文章を書いている。
これは、実は、狼なんか怖くないといいながら、狼は怖いと自覚している歌である。思春期の少女にとって、この世は狼だらけのようで本当に怖い。しかし、例外的に愛するあなたが狼になるのなら、それは怖くないという乙女心の歌である。(阿久悠『歌謡曲の時代』新潮文庫)
純情無垢な乙女心を感じさせる石野だったからこそ、阿久悠はあえて「あなたが狼なら、怖くない」と歌わせていたのだ。
さらには話題となった振り付けもまた、ピンク・レディーを手がけて評判になっていた土居甫によるものだった。
さて、それから約1年後の1979年3月21日、中島みゆきの5作目のオリジナル・アルバム『親愛なる者へ』が発表されている。
そこには「狼」にまつわる強烈な歌、「狼になりたい」が収録されていた。
単なる偶然の一致のようにも思える狼の歌、ウルフ・ソングの連鎖反応だったが、阿久悠と中島みゆきにはこの時、確かな接点と関連性があった。
1978年10月に発売された日吉ミミの「世迷い言」という曲で、二人は作詞・作曲のコンビを組んでいたのである。
(注)本コラムは2017年1月20日に公開したものです。なお文中にある谷田郷士氏の言葉は、下記のインタビューからの引用です。
「石野真子 当時のディレクターが語るインタビュー」
(参考コラム「〈吐きすて〉の歌の系譜④ 中島みゆき「狼になりたい」~深夜の吉野屋を舞台にした人間模様」)a href=”http://blog.mora.jp/2015/11/09/ishinomako-int.html”>
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