ヴァン・モリソンの「クレイジー・ラヴ」は、1970年2月28日にリリースされたアルバム『ムーンダンス』の一曲として世に出た。
同じ年、この曲をデビュー・アルバム『ジェシ・デイヴィスの世界(JESSE ED DAVIS)』のなかでカヴァーしたのが、オクラホマ州の出身のギタリストだったジェシ・デイヴィスである。
当時はエリック・クラプトンがデラニ―&ボニーのツアーへ参加したり、デレク&ドミノスを結成したりしたことで、アメリカ南部の土着性を帯びた音楽が一挙に世界の注目を集めていた。
その先駆者であるドクター・ジョンやレオン・ラッセルの活躍によって、それらは「スワンプ・ミュージック」とも呼ばれるようになった。
そんな流のなかから頭角を現してきたジェシ・デイヴィスは、コマンチ族の父とカイオワ族の母を持つ生粋のインディアンとして生まれた。そしてロスアンゼルスに出てレオン・ラッセルなどともバンドを組んだ後に、タジ・マハールに認められ、彼のバンドで活躍して音楽シーンで知られるようになっていく。
1971年8月1日にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開催された、ジョージ・ハリスンの提唱によるロックのチャリティーコンサート
ジェシ・デイヴィスの「クレイジー・ラヴ」は控えめで奥ゆかしい歌だが、さすがにギターが実にいい味を出していた。
「クレイジー・ラヴ」は、ジェシに続いてリタ・クーリッジ、ブライアン・フェリー、カサンドラ・ウィルソン、日本のハリー・アンド・マック(細野晴臣と久保田麻琴)、ロッド・スチュワート、レイ・チャールズ(ヴァンとのデュエット)など、多彩なアーティストに歌い継がれたことによって、いつしかスタンダード曲になった。
そんな「クレイジー・ラヴ」の歴史に新たな金字塔を打ち立てたのは、カナダ出身のマイケル・ブーブレだった。
スタンダード・ナンバーを愛する漁師の祖父から音楽的な影響を受けたマイケル・ブーブレは、長い下積みを経て俳優とジャズ歌手になった。
彼がカナダの首相令嬢の結婚式における歌唱によって、音楽プロデューサーとして名を馳せていたデイヴィット・フォスターの耳に留まったのは、偶然のことだったという。その出会いがきっかけとなって、マイケル・ブーブレはシンガーとして大きな成功をつかんでいくことになる。
2005年にリリースされた3枚目のアルバム『イッツ・タイム』以降、リリースする作品はいずれも全米アルバムチャートで1位を獲得し、マイケル・ブーブレはバラード・シンガーの第一人者になった。
そして4枚目のアルバムはタイトルが『Crazy Love』、北アイルランドが生んだロック・シンガーのヴァン・モリソンに敬意を込めた、正攻法の「クレイジー・ラヴ」がヒットしたのである。
「ムーンダンス」
マイケル・ブーブレ「Crazy Love」
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