スタジオは奇蹟を起こすための場所なんだ。だから、それが出来ないときは行かない。
こう語るヴァン・モリソンの言葉に、若い頃ひどく感銘を受けた。
後に彼のエンジニアと仕事をする機会に恵まれ、僕はそれが事実であることを知った。ミュージシャンとエンジニアはいつでも録音可能な状態でスタンバイしたまま、延々と彼を待っているのだという。来たら来たで、彼は曲名も告げることなく、いきなり演奏を始める。周囲はたまったものではない。「でも、その音楽がいつだってあまりに素晴らしいんだよ」
どのアルバムにも貫かれている、云いようのない緊張感。それはこうやって産みだされていたのか。
あらためて思い返してほしい。僕らが好きだったはずの音楽は「奇蹟」で出来ていたのではないだろうか? そのみずみずしい滴に、僕らは惹きつけられてきたのではないだろうか?
彼のライヴを体験すればよく分かる。彼は「空気」という実に曖昧な存在を、自身の「音楽=ソウル」によって自在に引きのばし、凍らせ、ぐっと握りしめて、ぱっと僕らに投げつけてくる。
僕はSFのように会場の時が止まってしまったのを観たし、ジャックと豆の木のように観客と空気が高揚していくのも観た。我が目を疑ったけれど、これこそが僕が追い求めてきた「音楽の奇蹟」そのものだった。
彼がアイリッシュであり、とりわけ北アイルランドのベルファストで生まれたこと。それがどのように彼に影響を及ぼしたのか、僕には知る由もない。
でも、1988年にリリースされたチーフタンズとの共演作、名盤『IRISH HEARTBEAT』にはその答えがあると思っている。収録曲「CELTIC RAY」には、流浪する民と自身の姿がこう描かれている。
アイルランド、スコットランド、コーンウォール、そしてウェールズ
祖先たちの声がこう呼んでいるのを聞くことができる
子供たち、子供たち、と
Listen Jimmy, I wanna go home.(ジミー、聞いてくれ 家に帰りたい)
Listen Jimmy I wanna go home.(ジミー、聞いてくれないか 私は家に帰りたい)
奇蹟を起こす人=ヴァン・モリソンが帰りたい「home」とは何をさすのだろう? 果たして「home」なんてあるのだろうか?
でも、彼の音楽がこれからも僕にとってポーラスター(北極星)であり続けることだけは間違いない。一人でも多くの日本人が彼のソウルに触れてくれることを願っている。
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*このコラムは2015年3月21日に公開されました。
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