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生きながらブルースに葬られ〜ジャニス・ジョプリン27歳、彼女が死んだ夜の足跡

2021.11.20

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それはジャニス・ジョプリンの遺作となったアルバム『PEARL』のレコーディング中におきた悲劇だった。
1971年にリリースされた本作は、ジャニスが新たなバックバンド“Full Tilt Boogie Band(フル・ティルト・ブギー・バンド)”を従えての期待作として注目を集めていた。
プロデューサーは、長い間ドアーズを手掛けてきたポール・A・ロスチャイルド。
1970年の9月からロサンゼルスのスタジオで開始されたレコーディングは、完成に向けて快調に進められていた。
そして、いよいよ最終局面を迎えた10月3日、アルバムのA面ラスト(5曲目)に収録された「Buried Alive In The Blues(生きながらブルースに葬られ)」のオケの録りが行われる。
翌日に行われるジャニスのボーカル録音の準備を整え、メンバーは23:00にスタジオをあとにして帰宅した。
ジャニスは泊まっていたランドマークホテルに戻る前、いつものようにBarney’s Beanery(バーニーズ・ビーナリー)というバーに立ち寄った。






レコーディング中もスタジオで酒を飲んでいたのだが…彼女はカウンターで2杯だけSouthern Comfort(サザン・カンフォート)を流し込んでホテルに戻る。
彼女は普段、仕事の後にホロ酔いのままホテルのプールでくつろぐことも多かったが、その夜は午前1時頃に煙草を買いにロビーへ行っただけで部屋から出ることはなかったという。
自分の部屋に戻ったあと、彼女はブラウスにパンティという姿でベッドに座って…眠る前の“儀式”に耽る。
そしてベッドの横にあったテーブルに煙草を置き、お釣のコインを手に持ったまま前に倒れた。
その時、顔がテーブルにぶつかり唇を切る。
10月4日、ジャニス・ジョプリンの死亡が確認された。
検死の結果、彼女が眠る前に使用したヘロインが通常のものより高純度であったため、致死量を越えたことが死因であるとされる。
それは奇しくも、ローリング・ストーンズの創設者ブライアン・ジョーンス(1969年7月3日)やジミ・ヘンドリックス(1970年9月18日)に続く“27歳の死”だった。








ジャニス・ジョプリン──誕生から60年を迎えたロック史上で、ひときわ異彩を放った女性シンガーである。
その個性的な声質とブルージーな歌唱法は、まさに“唯一無二”だった。
生前、米紙ニューヨーク・タイムズは「ロックンロール史における最高の女性スター」と彼女を称賛した。
死の当日、唯一ボーカル録りを残していた「Buried Alive In The Blues(生きながらブルースに葬られ)」は、歌なしのままアルバムに収録された。
2分半たらずのこの短い曲に、ジャニスはこんな歌詞を準備していたのだという。

山崩れに巻き込まれてしまった
あちらこちらから不運が押し寄せてくる
神様は私をイージー・ライドから振り落とし
生きながらブルースに葬ってしまった



ジャニス・ジョプリン『The Pearl Sessions』

ジャニス・ジョプリン『The Pearl Sessions』

(2012/ Sony Legacy)



【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

【TAP the POP佐々木モトアキ執筆記事】
http://www.tapthepop.net/author/sasaki




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