クリッシー・ハインド。
ロック界の姉御的存在として常に第一線で活躍してきた彼女は27歳で大きな転機を迎え、翌年にプリテンダーズとしてデビューを果たした。
プリテンダーズはイギリスのロンドンで生まれたバンドにも関わらず、彼女自身はアメリカ北部オハイオ州アクロンの出身だ。
彼女は故郷で過ごしたハイスクール時代を振り返りながらこう語ってる。
私は高校生活をおもしろいと感じたことがなかったわ。
つまり、ダンスに行ったこともなかったし、デートに行ったこともなかったし、恋人もいなかったの。
かなり酷かった毎日だったけど…バンドを観に行くことはできたので、それが元気の素だったわ。
私は会ったこともないバンドの男性に恋をしていたの。
ブライアン・ジョーンズやイギー・ポップに興味をもつ私を周りの人は“難しい存在”として見ていたみたい。
そんな中、私は「将来は自分のバンドを組んでデビューする!」という目標を持ったの。
卒業後も彼女はヒッピーカルチャーや東洋の神秘主義、菜食主義に興味を持つようになったという。
ケント州立大学美術学部の学生時代に“Sat. Sun. Mat. ”という名前のバンドに加入。そのバンドには後にディーヴォを結成するマーク・マザーズボーが在籍していた。
彼女はイギリスの音楽誌『NME(ニュー・ミュージカル・エクスプレス)』に興味をもち、22歳を迎えた1973年にロンドンへ移り住むようになる。
簡単な着替えとイギー・ポップのレコードを持ってアメリカからロンドンに渡ったのよ。
まずは建築会社で仕事をしたが8ヶ月後に辞めてしまった。
あるきっかけで『NME』記者のニック・ケント(シド・ヴィシャスにチェーンで殴られたことのある男)と出会い、仕事を紹介してもらってライターとして働くようになる。
しかし、この仕事も長くは続かずに…当時はまだあまり知られていなかったマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドのブティック『SEX』で働くようになる。
そこで2~3週間働いた後、彼女はフランスに渡ってバンドを結成しようと奔走する。
その後ロンドンに戻り、様々なミュージシャンと交友関係を深めながらも…なかなか実現しない夢に、彼女は焦燥を感じ始める。
そんな中、彼女に好転のきっかけを与えたのは、プロデューサーのクリス・トーマスだった。
サディスティック・ミカ・バンドを世界デビューさせたことでも知られる彼は、すぐにバンドを結成してデビューするのではなく、しばらく色々なバンドのライブにゲストとして参加させたり、ジョニー・サンダースらの大物ミュージシャンたちのレコーディングに参加させ、彼女に実力を付けさせたという。
──流れが変わったのは1978年の3月だった。
彼女はベーシストのピート・ファーンドンと出会って意気投合したことから、本格的なバンド結成に向けて動き出す。
ピートの同郷でドラムのマーティン・チェンバース、そしてギターのジェイムス・ハニーマン・スコットが加わり、バンド名はサム・クックがレパートリーにしていた「The Great Pretender」(オリジナルはプラターズ)から取って“The Pretenders(ザ・プリテンダーズ)”と名付けられた。
ようやく自分が求めるバンドを手に入れた彼女は、翌1979年にシングル「Stop Your Sobbing」(キンクスのカヴァー)でデビューを果たす。
翌年、1stアルバム『Pretenders(愛しのキッズ)』、同作からのシングル「Brass in Pocket」が共に全英1位となる。
パンク/ニュー・ウェイヴが席巻した当時、ストレートなロックンロールのセンスと彼女の快活で姉御肌的なキャラクターが受け、プリテンダーズは一躍人気バンドとなった。
自身のバンドを結成することを心に決めてから約10年…当時高校生だった少女は27歳でその夢を叶えたのだ。
【佐々木モトアキ プロフィール】
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【TAP the POP佐々木モトアキ執筆記事】
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