「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the NEWS

浅川マキが愛した名曲〜ビリー・ホリデイの“奇妙な果実”を聴きながら

生前、浅川マキはステージでこの曲を歌う時に、こう呟いて唄いだすのだった。 「白人のリンチにあって、黒人が木に吊るされている。なんと奇妙な果実ではないか…」 19…

Extra便

寺山修司が世に出した”ふたりのマキ”②カルメン・マキ「時には母のない子のように」

2015年10月24日、カルメン・マキがNHK-BSプレミアム「ザ・フォーク・ソング~青春のうた」に出演して、「戦争は知らない」と「時には母のない子のように」の…

TAP the SONG

寺山修司が世に出した”ふたりのマキ”①浅川マキの世界「かもめ」

浅川マキが2010年に突然のように亡くなった後、音楽プロデューサーの寺本幸司はCDのライナーノーツでこう述べている。 蠍(さそり)座で、寺山修司構成演出で、浅川…

TAP the DAY

木村充揮の歌ルーツ〜日本を代表する“稀代の唄うたい”が、若かりし頃に憧れた歌手、刺激を受けた音楽体験

木村充揮。 1975年、憂歌団のボーカルとしてデビュー以来“天使のダミ声”と称される独特の声とブルースフィーリング溢れる独特の歌い回しで絶大な人気を誇ってきた。…

TAP the STORY

浅川マキ27歳〜新宿に惹かれた女、新宿が生んだアングラの女王

1969年、浅川マキは劇作家・寺山修司によってその才能と存在感を見出され、シングル「夜が明けたら/かもめ」で再デビューを果たす。 それは、彼女が27歳になった年…

TAP the CHANGE

浅川マキをフリー・インプロヴィゼーションの世界に引きずり込んだ山下洋輔の思いがけない行動

1969年にシングル「夜が明けたら」を発表して以降、日本のアンダーグラウンド・シーンを代表するアーティストの一人として活動をしてきた浅川マキ。 ブルースやジャズ…

TAP the DAY

浅川マキが初コンサートの前夜、寺山修司に唄えないと抗議した「ロング・グッド・バイ」

浅川マキが初のワンマン公演を行ったのは、1968年12月13日から15日までの3日間だった。 場所は「アンダーグラウンド蠍座」。 前衛芸術とカウンターカルチャー…

TAP the SONG

浅川マキに発見されて歌い継がれてきた日本語のブルーズ、南正人「あたしのブギウギ」

1975年の日本の音楽シーンでは、ユーミンこと松任谷(荒井)由実がシングルの「ルージュの伝言」を2月20日に発表した。 それを契機にマスコミで次第に「ニューミュ…

TAP the LIVE

浅川マキの目に映った歌手としての野坂昭如

舞台の隅っこから逆光の照明のなかに野坂さんの背中が見える。 わたしはこの夜、野坂さんのバック・コーラスを受け持っていた。 浅川マキが野坂昭如とともにステージに上…

TAP the NEWS

挫折を知る者の歌〜それはスポットライトではない

器用には生きれない人。 挫折を味わったことのある者だからこそ唄える“歌”がある。 彼等だけが知っている。 本当の優しさ、本物の強さを。 そして“あの光”の正体を…

TAP the SONG

りりィが17歳の時に初めて書いた歌~「愛」に込められた孤独な少女の叫び

りりィのプロデューサーだった寺本幸司が、日本で最初のインデペンデント・レーベル「アビオン・レコード」の設立を企画したのは1966年のことだった。 その時期にゴス…

TAP the SONG

むつひろしと浅川マキのソングライティングによる「ちっちゃな時から」

2015年にオネストジョンというイギリスのレーベルから、アルバム『MAKI ASAKAWA』が発売になった。 この浅川マキのUK盤を企画して発売にこぎつけたのは…

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