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フランク・シナトラのように歌いたかったジム・モリソン

2018.07.04

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1960年代後半のアメリカにおけるロック・シーンで、セックスシンボルとなったドアーズのジム・モリソン。
その最期は27歳の若さで不慮の死を遂げるという、破滅的なロック・スターの典型ともいうべき生涯だった。
しかしジム自身はというと、その生い立ちにおいてロックからそれほど影響を受けてこなかったようである。

少年時代から家にこもって本を読んでばかりいたというジムは、ウィリアム・バロウズやジャック・ケルアックといったビート・ジェネレーションの文学にのめり込み、その影響は彼の詩にあらわれている。

一方で歌い方はというと、ときおり激しくシャウトすることもあるが、普段はなめらかな歌声で、バリトン・ボイスをソフトに響かせる。
これは1930~40年代に流行したクルーナー唱法という歌い方に近く、ロック・シンガーが用いる歌い方ではない。

ジム・モリソンは、あるときインタビューでレッド・ツェッペリンについて訊かれたときに、こう答えている。

「実を言うと、俺はそんなにロックンロールを聴かないんだ。
だから彼らの音楽も聴いていないんだよ。
普段はクラシックとかペギー・リーとか、フランク・シナトラ、あとはエルヴィス・プレスリーなんかを聴いている」


父親が海軍の軍人という、保守的な環境で生まれ育ったジム。
両親との関係は決して良好ではなかったが、音楽的な嗜好に関していえば、親の好みが反映されていたようである。

1965年に大学でレイ・マンザレクに誘われたことで、突然バンドのヴォーカルをやることになったジム・モリソンが、歌の手本としたのがフランク・シナトラだった。

ドアーズのレコーディングを手がけたエンジニアのブルース・ボトニックは、はじめてスタジオでジム・モリソンに会ったときのことを、のちにインタビューで語っている。
ジムはヴォーカル・ブースに入ると、固まって動かなくなり、少し間をおいてこう口にしたという。

「フランク・シナトラだ」

ボトニックがブースに用意していたマイクは、テレフンケン社のU-47というマイクで、シナトラがよく使っていたもののひとつだった。

「U-47は『シナトラズ・スウィンギング・セッション』のジャケットにキャピトルのロゴと一緒に映っているんだが、そのときジムがシナトラのファンなんだと気づいたよ」



学者肌だったジムは、シナトラの歌い方を研究する中で、マイクにも秘密があるのだろうかと考え、ジャケットに写っていたマイクを記憶していたのかもしれない。

また、プロデューサーのポール・A・ロスチャイルドによれば、ジムはクルーナー唱法やシナトラのフレージングの素晴らしさについて、語ることがあったという。

当のフランク・シナトラはというと、ラジオなどでドアーズの音楽を耳にすると苛立ちを露わにしたという。それは自分の歌い方を盗まれたという理由からだった。
シナトラを目標としていたジムにとっては、ある意味で本物に認められたといえるかもしれない。

ビート・ジェネレーションと自身の性格が反映された陰鬱な歌詞を、ときにはシナトラのようにソフトに、そしてときにはエルヴィスのように激しく歌うジム・モリソン。
そこにドアーズのメンバーによるサイケデリックなロック・サウンドが加わることで、ドアーズの音楽は唯一無二の妖しげな魅力を放つのである。


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