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木村充揮の歌ルーツ〜日本を代表する“稀代の唄うたい”が、若かりし頃に憧れた歌手、刺激を受けた音楽体験

2019.03.24

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木村充揮。
1975年、憂歌団のボーカルとしてデビュー以来“天使のダミ声”と称される独特の声とブルースフィーリング溢れる独特の歌い回しで絶大な人気を誇ってきた。
現在はソロ活動を中心にロック、ジャズ、ブルースにとどまらず演歌や民俗音楽にいたるまで、あらゆるカテゴリーを包括したボーダーレスなシンガーとして多方面で活躍している。
その唯一無二のライブパフォーマンスは数多くの若いアーティストからのリスペクトも集め、音楽ファンを魅了し続けている。
今回は、そんな日本を代表する“稀代の唄うたい”が、若かりし頃に憧れた歌手、そして刺激を受けた音楽体験をご紹介します。



「まず小学校の頃、僕が好きだったのは美空ひばり、越路吹雪、西田佐知子、そしてアストラッド・ジルベルト。中でもジルベルトの鼻歌に近いチカラの抜けた歌い方が好きだった。憂歌団でよく一緒のステージに出してもらった浅川マキさんもその系列だ。あの力の抜き方、あの感情、あの色合い、あの匂い…すべてが素敵だった。マキさんの歌を聴いた時、あぁええなぁと思った。歌謡曲とかと全然違う感じ。当時、マキさんは30代、僕は二十歳そこそこのガキだった。」






1970年代、大阪ミナミの島之内教会で3日間連続の浅川マキ単独公演が行われた。
バックミュージシャンとして憂歌団のギタリスト・内田勘太郎が呼ばれ、木村はそれを観に行ったという。
浅川マキは客席にいる木村を見つけると、ステージに上げて歌わせたのだ。



「一曲だけ“サマータイム”を歌わせてもらって、嬉しかった。マキさんはその時も、アカペラで何曲か歌ってた。時には1ステージまるまるアカペラでやるという。僕はこの歳になってもアカペラでやれるのはせいぜい5分くらい。やっぱりマキさんは凄い!」





彼は、これまでに様々な歌手を“お手本”にして歌を磨いてきたという。
エラ・フィッツジェラルド、ハリー・ベラフォンテ、ビートルズのジョンとポール、ミック・ジャガー、ボブ・マーリー、そしてレイ・チャールズ。



「色んな歌手が僕の歌の“先生”だった。だけど、レイ・チャールズだけは真似ようとは思わなかった。僕なんかにとても真似ができるとは思わなかったからだ。ビートルズは歌の上手さもさることながら、一曲の中の歌の構成が抜群だった。ストーンズはレコードがどれもライブっぽく聴こえた。一度だけ東京ドームで観たけど、やっぱり凄いバンドだった。」




1975年に憂歌団でデビューした彼は、以降、コンサートやイベントを通じて様々なミュージシャンと出会ってゆく。
上田正樹とサウス・トゥ・サウスとは京都のライブハウスでよく共演したという。



「彼らはR&Bのカヴァーも良かったし、日本語のオリジナルも良かった。極道の兄さんのことを歌った“むかでの錦三”なんかホンマにオモロイなぁと思っていた。上田正樹と有山淳司の名義で出したアルバム“ぼちぼちいこか”なんか、ラグタイムミュージックに大阪弁がうまく乗せられていて、当時は“へぇー!こんなことができるんや!”と驚いた。あれは日本のブルース史に残る名盤だと思う。キー坊があの頃、僕の歌の先生だったことは確かだ。」






彼がRCサクセションと初めて会ったのは1978年秋の大阪・桃山学院大学の学園祭だった。
当時、同学祭では“オールナイトフェスティバル”が恒例になっていて、関西だけに限らず東京からも話題のバンドが出演していた。
その年のラインナップは、上田正樹、アナーキー、石田長生とGAS、誰がカバやねんロックンロールショー、そして憂歌団とRCサクセションだった。



「楽屋で“化粧してるバンドがいてるぞ!”と誰かが言ってきて、僕らは野次馬根性で彼らの楽屋を覗きに行った。それが東京から来たというRCだった。彼らの出番になって、興味津々で客席まで出て観たんだ。ステージに化粧したギタリストが現れてイントロを引き出すと、今度はスポットライトを浴びながら、もっと派手な化粧をしたボーカルが踊りながら現れた。ピエロみたいな顔のボーカルが客席に向かって高らかにバンドの登場を告げる。“よーこそ!”僕の心臓の動悸は一気に高まり、思わず叫んだ。“ひゃー!カッコいい!”演奏が終わって楽屋に戻ってきた彼らを、僕らはただただ驚嘆と称賛の目で見つめていた。」







「西田佐知子も、レイ・チャールズも、ビートルズも、ストーンズも、キー坊(上田正樹)も、清志郎も、甲本ヒロトも、みんな歌に込められた自分の“気持ち”を伝えている。流れの中で何も考えずに、自然に自分の気持ちが歌になると最高に幸せだ。そして、そんなことがたまにあるのだ。いつだったかクラプトンの“Tears In Heaven”と歌っていて、とても幸せな気持ちになった。幸せは空からきているような気もしたし、自分の胸から湧いてきているような気もした。そして、演奏の間、どこからかこんな声が聞こえた…Oh,Boy がんばりや。好きなようにやりや。」






<引用元・参考文献『木村充揮自伝 ~憂歌団のぼく、いまのぼく』木村充揮(著)/ K&Bパブリッシャーズ>

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