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勝新太郎が弦の神となった一夜 ~スイス、ロシニエール山荘の奇跡

2017.06.21

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なぜ役者の道を選んだのかと聞かれて、「三味線弾きで終わりたくなかったから」と、勝新太郎は答えている。
彼には「杵屋勝丸」というもうひとつの名前があった。

長唄三味線の杵屋勝東治の息子に生まれ、十九歳の若さにして、二代目杵屋勝丸を襲名したという天才奏者として顔である。
社会的な地位からいっても、世間の通りもよかったろうが、最後までひけらかすことはなかった。
そして、苦心のすえ俳優としての名声をえたが、あきたらず、独立プロを立ちあげる。映画の恐さを知らなかったのである。
「作る側にまわると役者はしくじる」映画界の言い伝えを絵に描くようにたどり、採算を度外視した映画作りに走って、一説に十億ともいわれる膨大な借財を抱えたまま、66歳の生涯を閉じた。

千葉県柏市の国立がんセンターで療養中だった彼のベッドのかたわらにも、すぐ手にとれるようにひと竿の三味線が置かれていた。
三味線と縁がきれたわけではない。あの座頭市の殺陣(たて)の凄まじい間合いは、三味線のバチの呼吸から学んだもので、その呼吸が鈍らないように、ことあるごとに三味線を手にとったと、彼は明かしている。

勝新太郎は、病室に訪ねてきた長年の後援者に向かって、最後まで手形を切り続けてくれた礼の印だと言って、勝は古びた三味線を差し出した。
包みをあらためて見ると、その三味線をおさめたケースには、杵屋勝東治と父の名札があった。それを見て、形見のつもりであることがわかったという。

どんなときにもユーモアを忘れず、人に愛された勝新太郎だが、その晩年は多難だった。
1989年、自ら制作、監督、脚本、主演で完成させた「座頭市」は、不慮の事故にみまわれ、これが事実上勝プロ制作の最後の作品となる。さらには、映画より大きく見出しの活字がおどった「不祥事件」の数々…。
人が好き、なによりも仕事が好きという男が、仕事を追われ、親しかった人々も去ってゆく。その無念さは察するにあまりある。
そんな彼が、死の一年前の1996年、心から畏敬する人物の前で、渾身込めて三味線を弾く機会に恵まれたことがある。

場所は、スイス。ロシニエール村にあるグラン・シャーレ。
18世紀なかばに建造された巨大な木造邸宅で、それを買い取って暮らす風変わりな画伯が棲んでいた。人物の名は、バルテュス。
バルテュスは、ポーランド貴族の血をひく芸術一家の生まれで、2001年に92歳でこの世を去るまで、山荘にこもって創作活動を続けた。
妻は日本人で、本人も大の日本贔屓(びいき)で、「20世紀最後の巨匠」と銘打たれた大回顧展も、2014年4月から、東京都美術館で開催されたいきさつがある。

ポスターには、「賞賛と誤解だらけの」と意味深なキャッチがあったが、それはバルテュスがくりかえし描いた少女像のきわどい描写をさしている。
「少女は美そのもの。美への憧憬の象徴」と公言し、バルテュス自身は隠すことはなかったが、ロリータ趣味ともとられ、たびたび物議をかもしていた。
それでも、リルケ、アンドレ・ジイド、アンドレ・マルローなどから高く評価され、とりわけピカソからは「ぼくとバルテュスは同じのメダルの表裏である」という最大級の献辞が捧げられている。

勝新太郎との出会いも不思議ないきさつだった。
1965年にバルテュスが来日したおりに、京都の街角でふと惹きつけられたのが、勝新太郎の「兵隊やくざ」のポスター。
バルテュスは、その風貌が文豪バルザックに似ていたことに深く感銘を覚えたという。
(それを聞いた勝が「バルチック艦隊ですかい?」とまぜかえしたというエピソードは後のこぼれ話)

さらに実際に「座頭市」を観て、すっかり惚れこんだバルテュスに、仲をとりもつ人が現れて、勝新太郎を山荘に招き、念願の対面が果たされた。
「俺はただのアングリー・オールド・マンだ」とバルテュスが言えば、「俺だって同じさ」と勝が応じて始まる対話は弾み、ふたりはたちまち気を通じあい、勝新太郎は、居合、殺陣(たて)、女形(おやま)などを、バルテュスひとりのために演じて見せた。
だが最も力を入れたのは、父から継いだ三味線の音を目の前で奏でてみせること。

なによりものことは、最後に自分の弦の音がわかる人物と出会うことができたことではなかっただろうか。
不運続きの人生の幕引きを前に、勝新太郎は三味線を抱えて、至福の時を過すことができたのである。




(このコラムは2015年4月30日に公開されたものに加筆訂正を施したものです。)
(ご指摘を受け、杵屋勝東治氏に関する記述を一部修正させていただきました。(2017年7月14日))

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