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中島みゆきが「タクシードライバー」という歌の中に取り上げた「アローン・アゲイン」

2020.04.13

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「アローン・アゲイン (ナチュラリー) 」はアイルランド人のシンガーソングライター、ギルバート・オサリヴァンの楽曲で1972年にリリースされたところ、口ずさみやすいメロディーで世界的な大ヒットになった。
アメリカのBillboard Hot 100のシングルチャートでは、7月から9月にかけて合計で6週も1位の座にあった。
本国のイギリスでは最高3位だったが、日本でもオリコンの洋楽シングルチャートで10月23日から5週連続1位を獲得している。

ソフトな歌声と親みやすいメロディーのおかげで多くの人達の共感を生んだが、歌い出しから飛び降り自殺を予告するような歌詞は深刻で、孤独な男の究極のうめきともいえる内容の歌であった。


1946年12月1日アイルランドのウォーターフォードに生まれたレイモンド・エドワード・オサリヴァンは、13歳の頃に家族と共にイングランドにやってきた後に美術大学に進んだ。
その当時のほとんどの若者がそうだったように、ビートルズに影響をうけて自分で曲を書き始めている。
そしてCBSレコードと契約して数枚のシングルをリリースしたが、さほど注目されることはないままに終わった。

それでもあきらめずにデモ・テープをつくって、あちこちの音楽出版社などにアプローチしていて、イギリスで勢いのあるマネージャーの目に止まった。
そのマネージャーとはもとは歌手だったゴードン・ミルズで、ウェールズ出身のロッカーだったトミー・スコットをトム・ジョーンズの名前で売り出して世界的なエンターテイナーに育てた実績があった。
またレイチェスター出身の歌手アーノルド・ジョージ・ドージーには、エンゲルベルト・フンパーディンクの名前を与えて、バラード・シンガーとして成功させていた人物だ。

アメリカにも進出して国際的にも成功を収めていたミルズは、メロディ・メーカーとしての才能を見抜いて、1970年に自分のレーベルMAMからギルバート・オサリヴァンの名前でシングル「ナッシング・ライムド(Nothing Rhymed)」をリリースした。
それがラジオで火が付いたことから、全英8位のスマッシュ・ヒットになった。
ポップスターとして知られるようになったギルバートは、1971年にはアルバム「ヒムセルフ~ギルバート・オサリヴァンの肖像(Himself)」を発表する。



チャップリンをおもわせるその衣装とスタイルをミルズは好まなかったらしいが、ギルバートはそのスタイルでいくことを強く主張したと言われている。
この辺りから芸名のことも含めて、アーティストとマネージャーの間では意見が食い違い始めていた。

「Gilbert O`Sullivan」という名前は、サリバン家の息子ギルバートを意味しているが、ヴィクトリア王朝時代にオペレッタのソングライターとして活躍した、有名なギルバート&サリヴァンをもじって付けられたものだ。
覚えやすくて懐かしささえも感じさせるだったので、確かに芸名としては成功につながったのだろう。

だがギルバートはそのことについて、はっきりとこう述べていたのだ。

ぼくの名前はいまだにレイ・オサリヴァンさ。ギルバートに変える気は全然ないね。
まず第一にこの名前は好きじゃないんだ。だからギルバートになれるわけないよ」


「アローン・アゲイン (ナチュラリー) 」の大成功を境にしてミルズとの関係が次第にギクシャクしていったのは、商業主義に走る辣腕マネージャーと、地味でもじっくり作品づくりに取り組みたいアーティストの根本的な食い違いによるものだった。
1975年あたりからは音楽的な方向性のみならず、ロイヤルティーの分配などをめぐって、レーベルとの関係まで悪化してオサリバンが訴訟を起こす事態にまでになる。



日本で「あいつも あたしも 好きだった アローン・アゲイン」というフレーズが出てくる、印象的な歌が誕生したのは、オリジナルがヒットしてから数年後のことだった。

やけっぱち騒ぎは のどがかれるよね
心の中では どしゃ降りみたい
眠っても眠っても 消えない面影は
ハードロックの波の中に 捨てたかったのにね


中島みゆきが1979年3月21日に発表した5枚目のアルバム『親愛なる者へ』で、2曲目に収録された「タクシー ドライバー」のテーマは「アローン・アゲイン」にも通じていて、孤独の極みにいる女性が主人公で、しかもその状態が続いていく歌だった。

車のガラスに額を押しつけて
胸まで酔ってるふりをしてみても
忘れたつもりの あの歌が口をつく
あいつも あたしも 好きだった アローン・アゲイン


ちなみに一人の孤独なタクシー運転手をロバート・デ・ニーロが演じた映画『タクシードライバー』{監督:マーティン・スコセッシ)が、日本で公開されて話題になったのは1976年の秋だった。
その脚本を書いたポール・シュレイダーは、「都会の孤独をテーマに描きたかった」と述べていた。


(注)本コラムは2018年8月10日に公開されました。

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