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サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」をエレクトリック・ヴァージョンにするアイデア

2015.11.22

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アメリカの若き大統領、ジョン・F・ケネディーがテキサス州ダラスの街をパレードしている時に射殺されたのは1963年11月22日だった。

この事件に大きなショックをうけた22歳のポール・サイモンは、すぐに曲を書くと翌年の2月までかかって歌詞を完成させる。
「The Sound of Silence」と名付けられたその曲は、小学生のときから親友だったアート・ガーファンクルと一緒にアコースティックで歌われた。

しかし「The Sound of Silence」を収録したデビュー・アルバム『Wednesday Morning, 3 A.M.』は、1964年10月にコロムビア・レコードから発表されるもまったく売れなかった。
サイモン&ガーファンクルは解散し、ポール・サイモンはヨーロッパへ放浪の旅に出る。

1965年6月、「The Sound of Silence」のレコーディングを手がけたコロンビア・レコードのプロデューサー、トム・ウィルソンがボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」のレコーディングをしている頃、世間ではディランの「Mr. Tambourine Man」を新人バンドのバーズがカバーして大ヒットさせていた。

そのカバーが成功したのは、12弦のエレキギターを効果的に使ったサウンドにあった。時代はアコースティック・ギター中心のフォークから、エレキギターを使ったフォーク・ロックへと移り変わろうとしていた。

「The Sound of Silence」の評判が良かったマイアミのプロモーション担当者から、「もう少しロックっぽくして、ティーンネイジャーが曲に合わせて足を踏みならせるような感じにしたら?」という意見をもらっていたトムの頭に、バーズのようにアレンジするアイデアがひらめく。
エレクトリック・ヴァージョンにするというそのアイデアは、トムの手で実行された。ステレオでミックスされていたオリジナルがモノになり、左チャンネルにはドラムとエレキ・ベース、そして右チャンネルに2本のエレキギターが重ねられた。ギタリストのアル・ゴーゴニはこんな証言している。

12弦エレクトリック・ギターと思っている人が多いようだが、ギタリストは2人いる。私とヴィニー・ベルだ。もともと入っていたポール・サイモンのギターに、私がエピフォン・カジノで右チャンネルにダビングした。ヴィニーはところどころにブルーズっぽいフレーズを加えた。だから12弦エレクトリック・ギターのように聞こえるんだ。バーズのようなサウンドにすることが目的だったからね。つまりはそれがレコード会社の商売ということだ。「バーズのようにもう一度」というわけさ。

そのアイデアも仕上がりも正解だったのは、シングルとして発売されてまもなく全米ヒットチャートの1位に輝いたことで証明された。解散していたサイモン&ガーファンクルは、ここから復活して音楽シーンに大きな足跡を残すことになる。

「The Sound of Silence」は1967年末に公開された映画『卒業』でテーマ・ソングとして採用され、映画のヒットとともに全世界にまで広まった。
この映画の挿入歌として作られた「Mrs. Robinson」は2枚目の全米ヒットチャートの1位を獲得、ビートルズの「Hey Jude」を押さえて1969年度のグラミー賞では最優秀レコードを受賞する。

日本でも映画の公開に併せて1968年6月15日、「ミセス・ロビンソン」をB 面にしたレコードの「The Sound of Silence」が発売され、この年から始まったオリコン週間シングルチャートでは初めて、洋楽としてトップに立った。






Simon & Garfunkel『Sounds of Silence』
SMJ

(このコラムは2014年3月7日に公開されたものです)

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