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サイモン&ガーファンクル〜世界の頂点、更なる冒険

2016.03.12

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1968年、サイモン&ガーファンクルは“世界の頂点”にいた。

その年に彼らは映画『卒業』のサントラとアルバム『Bookends』の2枚を全米ナンバーワンにしていた。当時の彼らはフォーク音楽の領域を超えて、「ビートルズを追いかけて、創造的で素晴らしいレコードを作ろうとしていた」が、ポール・サイモンはこう振り返っている。

僕らの自信の水準はとても高くなっていた。『さあ、やってみよう。僕らが良いアイディアと思うことはたぶん良いに違いないから』と感じていた。世界の頂点にいるからこそ得られる種類の自由があったんだ。


その年の11月、それぞれ27歳になったばかりのポールとアートは、野心的な内容だった『Bookends』をさらに超える傑作にとりかかる。ニューヨークとナッシュヴィルのスタジオだけでなく、コロムビア大学の礼拝堂、CBS社内の音のよく響く廊下の一角など様々な場所に出かけ、100時間以上を費やして制作された「The Boxer」は、1969年4月にシングルとして発売され、全米第7位を記録。

だが、彼らの代表作となるアルバム『Bridge Over Troubled Water』の完成には、それから1年以上の月日がかかることになる。 その主な理由は、俳優業を始めたアートがアルバムの制作途中で、映画『キャッチ22』の撮影にメキシコへ行ってしまったからだ。アルバム収録曲の「The Only Living Boy in New York」の<トム、飛行機に乗り遅れるなよ>という歌詞は、彼のメキシコ行きに触れたものだ。

当初の予定では、端役ゆえに短期間で済むはずだった拘束期間は、結局のべ4~5か月間にもなる。そのためにポールは長らく待ちぼうけを食わされ、多くの作業を相棒抜きで進めることになった。そのことが1970年の『Bridge Over Troubled Water』発表後のデュオ解消を招いた。

ポールはソロ・アルバムで明らかになった世界各地の民族音楽への関心、アートは1971年の『愛の狩人』でゴールデン・グローブ賞候補にもなった演技への興味と、20代終わりに近づいた2人には、それぞれ新たな場所へ進む変化の時機が来ていたのだろう。


創造的で素晴らしいレコードを作ろうとしていた
『Bookends』で制作を補佐した当時コロムビアの社員A&Rだったジョン・サイモンによると、サイモン&ガーファクルがミュージシャンもスタジオ時間もたっぷり使い、サウンドの実験を繰り返しながらレコード制作できたのは、フォーク・デュオだから安上がりのはずと会社側が制作費を全て負担する条件で交わした契約をうまく利用したのだそう。

多くの作業を相棒抜きで進めることになった
「実のところ僕らは3人組だったんだ。そして多くのことでロイ・ハリーが運転手を務めた」とアートが言うように、『Bridge Over Troubled Water』をはじめとするサイモン&ガーファンクルの作品は、1964年のオーディションからずっとエンジニアを務め、共同プロデューサーでもあるハリーを含めた3人が対等な立場で意見を交わして作られていた。

*このコラムは2014年8月30日に公開されました。

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サイモン&ガーファンクル
『Bridge Over Troubled Water』


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