1975年5月26日、27歳の誕生日を迎えたスティーヴィー・ニックスは前年の同じ日を思い浮かべ、その1年のもたらした大きな変化を噛み締めていたはずだ。
1年前の彼女は、薄給のウェイトレスやプロデューサーの家の掃除といった仕事で生活費を稼ぐ、苦闘するミュージシャンだった。
大学時代から活動をともにしてきた音楽のパートナーで恋人のリンジー・バッキンガムとのデュオでは、1973年にアルバム『Buckingham Nicks』を発表したが、ほとんど注目されずに契約は解除。2人は2作目のためのデモを持ち込んだレーベルに軒並み拒否されていた。
そんな彼らに幸運が訪れる。
ミック・フリートウッドがフリートウッド・マックの次作の録音に使うスタジオを見学にきた際、2人のアルバムを耳にして興味をそそられたのだ。
当初バンドはリンジーだけを望んだが、彼は自分たちは「パッケージ契約」だと主張し、1974年の大晦日に2人はフリートウッド・マックのメンバーとなる。27歳のスティーヴィーは今や有名バンドの一員だった。
ただし、その時点では自分たちの加入がマックをスーパー・グループに押し上げるとは想像もしなかっただろう。 1975年7月に発売された『Fleetwood Mac』は彼らの運命を変える1枚となるが、それが売れ始めるまでには時間がかかった。
翌年に入って、スティーヴィーの看板曲となる「Rhiannon」を含む3曲のヒットが生まれ、アルバムは発売から1年以上を経て、ついにチャートの首位にまでのぼりつめたのである。
スティーヴィーはロック界の新たなセックス・シンボルとなり、男性ファンだけでなく、彼女を真似て黒いシフォンのドレスに身を包んだ少女たちも客席を埋めた。
しかし、彼女は代償を払わねばならなかった。辛苦をともにしてきたカップルの関係は、成功と引き換えるようにうまくいかなくなった。
その辛い別離こそが、リンジーの「Go Your Own Way」やスティーヴィーの「Dreams」といった名曲を作らせ、 次のアルバム『Rumours』を歴史的なベストセラーにするのだが。
バッキンガム・ニックス
アルバムも売れず、まったく人気を得られなかったが、例外の街があった。地元のDJがアルバムの曲をラジオでかけてくれたおかげで、アラバマ州バーミンガムは世界で唯一、バッキンガム・ニックスがスターである街になった。だから、マックへの加入が決まったバッキンガム・ニックスの最後のコンサートは、当然バーミンガムで行われた。7,000人収容の大会場に出演したという。
『バッキンガム・ニックス』はLPレコードの時代だった1976年に再発されたが、CD化はされず、再発が最も求められるアルバムの一枚となった。2人が原盤を買い戻し、保管庫にしまいこんでしまったのだ。2010年代初めに彼らの口から再発したいという発言もあったが、18年にツアー参加を渋るリンジーがバンドを解雇される騒動が起こり、彼らの不仲も伝えられたので、再発の期待もしぼんでしまった。ところが、その後に彼らは仲を修復し、考えを改めたようで、25年、遂にリマスター再発盤が発売となった。

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